中学生の時に見た前進座公演に感激し、役者を目指す。日本大学芸術学部在籍中、新協劇団の研究生に。1950年、内田良平、小松方正らと新演劇研究所を設立。1957年「俺は待ってるぜ」で映画デビュー。翌年の「錆びたナイフ」での石原裕次郎の敵役を熱演、一躍脚光を浴びた。1959~1962年は松竹専属俳優となり、「悪女の季節」(1958)「大学の合唱」(1959)などで主演を演じた。フリーとなってからはテレビにも進出。『岸辺のアルバム』(1977)『父の詫び状』(1986)が代表作となった。2011年9月21日肺癌のため死去。最期の言葉は「私の人生、メデタシ、メデタシ」だった。