1954年京大卒。各種の職業を経て、1961年「SFマガジン」の第1回コンテストに「地には平和を」で入賞。以後、「日本アパッチ族」「果てしなき流れの果てに」「復活の日」など、数々の作品を発表、1974年の「日本沈没」は日本推理作家協会賞を受賞するとともに、空前の大ベストセラーとなった。また、1970年の大阪万博ではプロデュースを、1990年の国際花と緑の博覧会の総合プロデューサーを務めるなど幅広い活動を行った。「日本沈没」(1973/2006)「エスパイ」(1974)「復活の日」(1980)「首都消失」(1987)が映画化されたほか、1984年の「さよならジュピター」では自ら製作・監督・脚本を務めた。2011年7月26日肺炎のため死去。