長崎放送のアナウンサーを経て、第3期ニューフェイスに合格し、1956年日活に入社。同年の古川卓巳監督作「沖繩の民」で俳優デビュー。1957年の鈴木清順監督「浮草の宿」で主役に抜擢、以後日活の石原裕次郎、小林旭の主演映画での敵役などで活躍した。赤木圭一郎亡き後は、“ニュー・ダイヤモンド・ライン”の一翼として、“ダンプ・ガイ”の愛称のもと、「ろくでなし野郎」「散弾銃(シヨツトガン)の男」「追跡」「「野獣の門」(1961)、「兄貴」「黒いダイス」「拳銃は淋しい男の歌さ」(1962)、「午前零時の出獄」「アリバイ」(1963)、「噂の風来坊」「間諜(スパイ)中野学校・国籍のない男たち」「死にざまを見ろ」「殺られてたまるか」「夜霧の脱出」(1964)、「ギャングの肖像」(1965)に主演する。1971年に日活を退社しフリーとなる。テレビでは1977年に始まる『特捜最前線』での演技で人気を博す。「片翼だけの天使」(1986)「ドン松五郎の大冒険」(1987)ではプロデューサーも担当した。2012年1月7日肺炎のために死去。