【常に良質な作品を生み出す、現場叩き上げの正統派監督】福岡県北九州市の生まれ。少年時代はラジオのディスクジョッキーに憧れる。本格的に映画を指向するのは日本大学芸術学部放送学科へ進学し、名画座に入り浸るようになってから。卒業後は大手に人員募集は無く、一時は別の仕事に就いたものの、長谷川和彦「青春の殺人者」(76)の見習い制作進行で初めて現場に参加。1980年、制作進行から助監督に。大森一樹や根岸吉太郎ら多くの監督につき、チーフとしての最後の作品は和田誠「快盗ルビイ」(88)。満を持して発表した監督第1作は90年の「マリアの胃袋」で、当時は珍しかった和製ホラー・コメディを長年の現場で蓄えた技量で見せる。92年の第2作「ザ・中学教師」では授業のプロに徹する教師を描いて話題を呼び、日本映画監督協会新人賞を受賞。本作で注目された長塚京三は「笑う蛙」(02)、「レディ・ジョーカー」(04)など平山作品の常連となる。テレビドラマの演出や中編の「人間交差点・雨」(93)、「よい子と遊ぼう」(94)を経て、「学校の怪談」(95)を監督。良質の冒険物語に仕上げて大ヒットさせ、夏休みファミリー映画の定番シリーズとする。98年、6年越しの企画だった「愛を乞うひと」を映画化。母に虐待されて育った娘の愛憎のドラマを骨太に演出し、モントリオール世界映画祭国際批評家連盟賞、キネマ旬報日本映画監督賞などを受賞。名実ともに日本映画界を代表する監督の一人となる。以降、20世紀フォックスが配給した初の日本映画「OUT」(02)、伝奇時代劇「魔界転生」(03)などを発表。07年の「しゃべれどもしゃべれども」「やじきた道中・てれすこ」では落語の世界を描く。10年も藤沢周平原作「必死剣鳥刺し」、福岡先行公開の「信さん・炭坑町のセレナーデ」などを公開。【作品本位の堅実な作風】『キネマ旬報』に語った本人の言によると、デビュー作「マリアの胃袋」は池田敏春のスプラッタ・ホラー「死霊の罠」(88)の続編の予定が、準備を進めるうちコメディ色が強い別物に変わったという。続く「ザ・中学教師」のニヒルな教師像の造型も学園ドラマの方程式を揺さぶるものだった。それにふさわしいとされる標準的な作劇のセオリーに甘えぬ意志を明確に持ち、作品を活性化させるユニークなアプローチへの探求を弛まず続けることで秀作を生み、一歩ずつ堅実に評価を築いてきた監督である。さらに重要な作風は、協調の前にまず個であろうとする人物を好んで描く点。少年少女の涼やかな成長劇「学校の怪談」シリーズと、母娘の剥き出しの痛みに満ちた「愛を乞うひと」のように両極端な映画を同時期に作り、ともに成功に導く幅の広さは、人間の個の行動を芯で.む演出眼のブレの無さによってもたらされている。日本映画の古典ジャンルである時代劇の発表が近年目立つのは、正統派の技量を持つ監督が歩むべき必然といっていい。