【特撮映画による70年代大作主義の復興推進者】東京都生まれ。高校時代までを茨城県で過ごす。『帰ってきたウルトラマン』(71)や70年代の邦画大作に影響を受け、「さよならジュピター」(84)の撮影見学時に特撮技術を志望、18歳で「ゴジラ」(84)の特殊造形アルバイトの現場に入る。1985年、庵野秀明が属するアマチュア製作集団・ダイコンフィルムに赴き、自主製作の16ミリ「八岐大蛇の逆襲」の特殊技術監督を担当。ダイコンフィルムはアニメ製作会社・ガイナックスに発展し、樋口もそこで絵コンテ・助監督・演出などを手がけるようになった。特に絵コンテでは、アニメ作品と一般映画特撮場面とを行き来して活躍し、91年、OVの『ミカドロイド』で本格的に特技監督デビュー。「ガメラ・大怪獣空中決戦」(95)を第1作とする金子修介監督の「平成ガメラ」三部作では、次代の日本特撮を担う特技監督として注目を浴びる。92年に共同設立した企画制作会社・ゴンゾを経て、現在はVFXスタジオ・モーターライズに所属。それらを拠点に、アニメーションと劇映画との往還は続いた。2002年にはCGアニメとアイドルの演技を融和した中編「ミニモニ。じゃムービー・お菓子な大冒険!」で監督を担当(ヒグチしんじ名義)。それ以前より作家・福井晴敏と共同で映画プロジェクトを起動させており、05年に戦争映画大作「ローレライ」が完成、これが名実ともに長編初監督作となった。以後、監督作では特技監督を他者に預けるかたちで作品を重ねていく。06年は同名原作の再映画化「日本沈没」を、08年は黒澤明の「隠し砦の三悪人」のリメイク版を監督。いずれも特撮場面を効果的に用いた大作映画であり、以降にも待機作や進行中の作がある。【VFX時代の大作映画監督】山崎貴に並び、特殊効果を駆使した一般映画の演出者として第一線に立つ特撮出身監督。愛好映画3本に「日本沈没」「新幹線大爆破」「太陽を盗んだ男」を挙げ、加えて「ノストラダムスの大予言」を“魂の故郷”と称し、70年代大作主義映画の再来を監督作で志向する。その背景にはまず、特殊効果が必要不可欠な21世紀の娯楽作において、豊富な特撮の知識が重用された面があった。さらに怪獣映画など日本映画に数少ない大作での経験が、大がかりな現場を指揮する才覚や、巨視的な作品世界を成立させるセンスに結実していたという面もある。こうした資質に、(庵野秀明に顕著な)完全オリジナルを放棄した新世代の感性が混ざり合い、前時代回顧的な大作映画が作られてきた。樋口はそこで、影響を受けた作品の精神的リメイクをも実践する。「日本沈没」では「さよならジュピター」や「アルマゲドン」の展開を踏襲し、また「隠し砦の三悪人」では本家の影響を受けたとされる「スター・ウォーズ」を大胆に引用して先祖返りを企んだ。これらの行為は、“ルーカス=スピルバーグ”以後のハリウッド映画とも歩調を合わせるものであり、自身が口にする“とにかく面白い映画”作りの模索はなお続けられていく。