【トリッキーな映像演出で知られる映像派ディレクター】愛知県名古屋市の生まれ。法政大学社会学部を中退後、東放学園で映像演出を学びテレビの世界に入る。バラエティ番組のAD、ディレクターを経てCMやミュージックビデオの演出を数多く手がけ、これが森田芳光の目に留まったことから、森田が製作総指揮をつとめる1988年のオムニバス映画「バカヤロー!・私、怒ってます」の第4話「英語がなんだ」で監督陣のひとりに抜擢された。その後、1年以上ニューヨークで暮らしながら映像製作の仕事を続け、帰国後の90年に「![ai-ou]」で長編映画デビュー。93年の「中指姫・俺たちゃどうなる?」までは堤ユキヒコ名義だったが、テレビドラマの演出を本格的に手がけるようになった94年頃から本名に改めている。堤の名が脚光を浴びたのは95年のドラマ『金田一少年の事件簿』から。ケレン味あふれる個性的な映像演出が評判となり、『ぼくらの勇気・未満都市』(97)、『ケイゾク』(99)、『池袋ウエストゲートパーク』『TRICK』(00)など、従来のテレビドラマのシステムを挑発するかのような革新的な作品を次々と手がけていく。このうち『金田一』『ケイゾク』『TRICK』はいずれも映画化され、堤のメガホンにより大ヒットとなった。90年代から2000年代にかけて、映画、テレビドラマ、舞台と堤の演出作品は膨大な数に及ぶが、00年代中盤からはさすがに連続ドラマが減り、もっぱら映画へとシフト。「溺れる魚」(01)、「恋愛寫眞」(03)、「包帯クラブ」「自虐の詩」(07)など映画オリジナルの作品も多岐に渡り、06年の「明日の記憶」では渡辺謙渾身の企画に、トリッキーな映像演出を抑えた堅実な手腕で応え、キネマ旬報ベスト・テン入選を果たしている。【俳優の芝居から“人間味”を引き出す演出】映画監督デビューのほうが実は早いのだが、一般にはテレビドラマのディレクターとして名を馳せ、その劇場版を足がかりに映画監督へ進出したと見られるテレビ出身監督のトップランナー。堤自身は演出家としての出自はミュージックビデオ界にあると自負しており、現在もライヴシーンなどの演出にこだわりを見せる。出世作となった『金田一少年の事件簿』は、ジャニーズアイドル・堂本剛の主演によるティーン向けのジュブナイル・ミステリーながら、異常な数のカット割りと緻密な画面構成のトリッキーな画作りによって、映像派ディレクターとして注目を集めた。ケレン味あふれる映像や過剰なほどのギャグなど、そのギミックの多さ、異質さばかりが語られがちだが、高い評価を受けた「明日の記憶」などでもわかるように、堤演出の本質は俳優の芝居を掘り下げ、そこに息づく“人間味”をいかにすくい取るかにある。一見、特異な演出も芝居に貢献するためのものだ。