在日韓国人二世の両親のもと、東京市(現・東京都)で生まれる。本名・大初子(旧姓・李)。都立広尾高校在学中から演劇部に熱中し、1960年の卒業後はただちに舞台芸術学院に入学。63年7月、状況劇場の前身“シチュエーションの会”の旗上げ公演『恭しき娼婦』64に、友人の紹介で参加する。ここで当時本名の大義英を名乗っていた唐十郎と出会い、初期の『ジョン・シルバー』65、『腰巻お仙』66、から、『二都物語』72、『唐版・風の又三郎』74、『女シラノ』80、『下谷万年橋物語』81まで、状況劇場の紅テントでヒロインを演じ続ける。当初は通名の“星山初子”で活動したが、のちに芸名を“李礼仙”と改める。76年に紀伊國屋演劇賞を受賞。その間の67年に唐と結婚する。映画初出演は68年の武智鉄二監督「戦後残酷物語」で、焼跡闇市の娼婦のひとりを演じた。状況劇場の一党が実名のまま総出演した大島渚監督「新宿泥棒日記」69を挟み、勅使河原宏監督「サマー・ソルジャー」72ではベトナム脱走米兵を庇護するホステス役。伊藤俊也監督「女囚さそり・けもの部屋」73ではヒロイン・梶芽衣子を敵対視する暴力的な女囚役で存在感を発揮する。唐の初監督作品「任俠外伝・玄海灘」76では、母娘二代に渡る韓国女性の日本人に対する愛憎を大胆かつ繊細に表現した。テレビドラマは、NHK大河ドラマ『黄金の日日』78で初出演し、以降もTBS『家路/ママ・ドント・クライ』79、『親子ジグザグ』87、日本テレビ『外科医・有森冴子』90、NHK『炎(ほむら)立つ』93など多数に出演。その間の87年に芸名を“李麗仙”に改名している。90年代以降の活動は舞台が主となり、一人芝居『カッポレはもういらない』96、ソウル公演『オモニ』97のほか、『青ひげ公の城』03、『ガラスの動物園』04などに出演。映画の近作に、恩地日出夫監督「蕨野行/わらびのこう」03、金守珍監督「夜を賭けて」03、森﨑東監督「ニワトリはハダシだ」04、大友克洋監督「蟲師」07、三池崇史監督「神様のパズル」08などがある。テレビドラマはほかに、日本テレビ『シンデレラは眠らない』00、TBS『君のままで』00、『3年B組金八先生ファイナル』11、フジテレビ『東京湾景』04、『契約結婚』05など。88年に唐と離婚。実子は俳優で小説家の大鶴義丹。