中国・天津の生まれ。大阪市の武庫川学院短期大学国文科に在学中の64 年、日活にスカウトされ、本名の安田道代を芸名に松尾昭典監督の「風と樹と空と」64 で女優デビュー。翌年、知人に大映の勝新太郎を紹介され、勝が彼女の女優としての素質に惚れ込んで推薦したのがキッカケで大映に入社。翌66 年は1月封切りの三隅研次監督作「処女が見た」を皮切りに、10 本の作品の出演。この年にはエランドール新人賞も受賞し、新人女優としては破格の扱いで、大映から山本富士子の再来と将来を嘱望される。67年には増村保造監督の「痴人の愛」で小悪魔的なヒロインを全裸に近い体当たり演技で演じて新生面を披露したが、この頃のスクリーンでの彼女は表情に乏しく、情感表現がいまひとつ出来ないと言われていた。また当時の大映は経営不振に陥っていて、セックス物やヤクザ物などの刺激が強い企画に作品を傾斜させ、彼女もエロティックな猟奇時代劇「秘録おんな牢」68 や、流れ者の女やくざを演じた「関東女やくざ」68 などに主演。企画自体はいわゆる“ 色物” 的なものが多かったが、彼女はどんな役柄にも体当たりで臨み、演技的な柔軟さと独自の色香を見につけていった。そして71 年2月、「新女賭博師・壷ぐれ肌」を最後に、倒産の危機迫る大映を退社。フリーになってからはまず、東映の山下耕作監督作「博奕打ち・いのち札」71 に出演。将来を誓い合った男女が、運命のいたずらで愛を諦めなくてはいけなくなるこの作品で、彼女は鶴田浩二を向こうに廻して成熟した大人の情感をほとばしらせた熱演を披露。作品自体も笠原和夫の名脚本を得て、任侠映画史上に残る佳作となった。その後は森﨑東監督の「喜劇・おんな生きてます」71 でストリッパーの女性をコミカルに演じたり、勝新太郎や若山富三郎との競演が続いたが、70 年代半ば一時芸能界から姿を消す。76 年9月、ビギ・グループ社長大楠祐二と結婚し、翌年から大楠道代と名前を変えて女優に復帰。80 年、「金環触」以来5年ぶりの映画となる鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」に出演。これは男女4人が織り成す大正期を背景にした一種の怪談だが、彼女は和風で陰影を放つ大谷直子と対照的なもう一人のヒロインである、洋装でモダンな大学教授夫人を演じ、妖しくも濃密なエロティシズムを感じさせた。この演技で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞とキネマ旬報助演女優賞に輝いたのを皮切りに、「陽炎座」81 や「夢二」91 といった鈴木清順作品を始め「ダブルベッド」83 の藤田敏八、「ベッドタイムアイズ」87 の神代辰巳など気鋭の監督と仕事をするようになり、一方では市川準監督のデビュー作「BU・SU」87、阪本順治監督の第2作「鉄拳」90 など、注目の新人監督とも仕事をこなし、90 年代初頭までに演技派の助演女優として日本映画に欠かせない存在になっていった。近年では映画の出演本数は減ったが、その演技がいかに印象深いものであるかは彼女の映画賞受賞歴を見れば一目瞭然。阪本順治監督の「愚か者・傷だらけの天使」98 でキネマ旬報助演女優賞、同じく阪本監督の「顔」00 で日本アカデミー賞優秀助演女優賞、キネマ旬報、ブルーリボン賞、日刊スポーツ映画大賞などの各助演女優賞、北野武監督の「座頭市」03 と荒戸源次郎監督作「赤目四十八瀧心中未遂」03 で日本アカデミー賞の優秀助演女優賞とキネマ旬報、毎日映画コンクール、ブルーリボン賞の助演女優賞、行定勲監督の「春の雪」05 で日本アカデミー賞の優秀助演女優賞など、映画に出演すれば賞に結びつくという状況になっている。中でも、妹を殺して全国を逃げ回る藤山直美演じるヒロインが、逃亡先で勤めるバーのママに扮した「顔」、主人公の男にモツ焼き用の臓物を串に刺す仕事を世話する飲み屋の女将を演じた「赤目四十八瀧心中未遂」は、どちらも人生で様々な経験を経てきた女のすべてを飲み込んだ振る舞いが、作品に奥行きを与えていた。加えて大楠は、年齢を超越した“ 女” の部分をどの役でも匂わせる。彼女が持つ色合いと存在感が、映画という夢を伝えるメディアには似つかわしいのかもしれない。ほかにドラマでは関西テレビ『徳川おんな絵巻』71、TBS『風の中のあいつ』74 ~75、『あしたがあるから』91、フジ『タブロイド』98、『ロケットボーイ』01、テレビ朝日『蒼き狼・成吉思汗の生涯』80、NHK『河内まんだら』77、『冬の虹』79、『金曜日の食卓』91、『味な女たち』98 などに出演。