【アメリカの現実を描いたヒットメイカー】アメリカのインディアナ州ラファイエット生まれ。高校卒業後、プロの俳優を目指してニューヨークのネイバーフッド・プレイハウスで学ぶ。俳優や時には演技教師として活躍するようになり、テレビドラマに出演して親しくなったジョン・フランケンハイマーの推薦で「明日なき十代」(61)のダイアローグ・コーチとしてハリウッドに赴き、主演のバート・ランカスターとも親交を深めた。彼らとの友情をきっかけにしてテレビドラマの演出を手がけるようになり、5年間に約80本の演出を担当。65年には“The Game”でエミー賞を受賞した。同年、「いのちの紐」で劇映画監督としてデビュー。自殺者救護施設の一夜を描いた社会派ドラマで、その後も社会派ドラマ、ラヴストーリー、サスペンスなど多様なジャンルで、アメリカの様々な問題を反映させた作品を多く作り続け、批評家から評価を受けると共に、ヒットメイカーとしても活躍した。30年代に流行したマラソン・ダンス・レースを題材にした「ひとりぼっちの青春」(69)も初期の代表作で、監督賞を含むアカデミー賞9部門にノミネートされ、ポラックの評価を高めた。また、監督第2作で、テネシー・ウィリアムズの戯曲を映画化した「雨のニューオーリンズ」(65)に主演したロバート・レッドフォードとはテレビ時代からの親友で、以後、「大いなる勇者」(72)、「追憶」(73)、「コンドル」(75)、「出逢い」(79)、「愛と哀しみの果て」(85)と、6作品にわたり、監督=主演コンビ作品を手がけた。なかでも20世紀初頭のアフリカを舞台に、レッドフォードが冒険家に扮し、メリル・ストリープがコーヒー園を経営する女性を演じた雄大なドラマ「愛と哀しみの果て」は、アカデミー賞で作品賞をはじめ7部門で受賞。ポラック自身も監督賞で初のオスカーに輝いた。【製作者、俳優としても活躍】その後も、ジョン・グリシャムのベストセラー小説を原作にトム・クルーズが主演した「ザ・ファーム 法律事務所」(93)が世界的に大ヒットするなど、存在感を示したが、80年代後半から監督作品は減っていき、むしろ製作者として活躍。アンソニー・ミンゲラ(09年3月死去)と共に製作会社ミラージュ・エンタープライズを設立し、「アイリス」(01)、「コールドマウンテン」(03)をはじめ多くの映画やテレビ作品の製作を手がけた。また、俳優としてのキャリアを活かし、ウディ・アレンの「夫たち、妻たち」(92)やスタンリー・キューブリックの「アイズワイドシャット」(99)、フランス映画「モンテーニュ通りのカフェ」(06)、「近距離恋愛」(08)などで、出演シーンは少ないものの、印象的な役を演じている。08年5月、ガンのため死去。病気を宣告された後も最後まで映画に関わり続けた。