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アートなんかいらない! Session1 惰性の王国
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この映画を文字にするのは陳腐なことだと思う。 個人的な意見を言うと、アートは必要不可欠だし、映画も音楽も小説だってなんだって不要なものはないと思っている。いや思っていた。しかしこの映画を見ると、本当にアートはいらないものだと結論づけられる。そして何もかもが「ウソ」だ。現実ではない「ウソ」に金をかける。それがアートだとすると、それらに存在する価値、特に貨幣価値はいったいどんな意味を施すのか。盆栽作家が「作品は金ですよ。金がないと維持できないから。」というのがひとつの答えだ。見ているうちにそう思うようになった。 話しは飛躍して縄文時代に飛ぶ。そして縄文土器の見事さを見つめ直すと、それすらも1万6千年から2千400年までのサバがあり、果たして本当にその時代のものなのかもウソくさくなる。しかし少なくとも縄文土器は、それをアートとしてではなく、生活に必要なものとして消化していた可能性がある。それがあの見事なフォルム。真似をしようにも真似できない高度な技術を縄文時代は持っていたのだろうか。 ドイツの歴史と文化政策についての話しは極めて印象的で、歴史の過程でユダヤ人を迫害した事実を受け入れる社会。先ごろ鑑賞した『ファイナル・アカウント』という映画の証言もさることながら、ドイツ人が文化施設の維持を最優先にしている話しは感動的だ。移民問題が生じたときもドイツは国家より先に文化施設、劇場や美術館が空いているスペースを利用してどんどん難民を受け入れた。どこかの国とは大違いだ。それは過去に学び、過去の過ちをこれからも背負っていこうという国民性に裏打ちされている。 この話しと対比的に、あいちトリエンナーレや「表現の不自由展」の問題が提起され、隣国の韓国で起きた朴槿恵政権時代のアート弾圧に、国民的なシニカルな働きかけをして反発した、という事実はこの映画を見るまで知らなかった。『キング・メーカー』という映画を見ても思うことだが、これほどお互い近い位置にありながら、お互いの国はよく知らないことばかりだ。すくなくともこの国よりはアートに対して表現を守る力を備えているように感じる。このお話の中で、あいちトリエンナーレで示された表現の不自由を巡る数日間の展示は、それでも有意義なものだったと位置づけている。結果として表現の不自由はそのままだったが、数日でも人の目に触れた作品がそこに存在したことは意味がある。 こうした文脈の中で、山岡信貴監督はアートはいらないものだと断じる。説得力のあるインタビューを積み重ねた上で「アート不感症」という症状の説明として、日本の未成熟な社会におけるアートなど少なくとも価値のないものだと断じる。 しかし・・・ そのあと、最後の最後ですごいオチを持ってくる。荒川修作とマドリン・ギンズの三鷹天命反転住宅に住まうある女性の後姿を見せる。その美しい女性の正体とは?ここからは口が裂けても書けない。驚いた。これもまたアート。そして最も必要とされるアートなのかもしれない。こうしたテーマで見たことがなかっただけに恐るべきオチをもってきたものだと驚いた。すごい作品だった。
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