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東京2020オリンピック SIDE:A
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河瀨直美監督がこの映画に託した”日本”について、世界との相違、そしてこの孤立した島国の在り方について決定的なこと示している。これは五輪を描きながら、全く別のことを伝えようとしている。素晴らしい切り口の映画だった。 (略) もともと黒澤明が取り組む予定で最終的に市川崑監督が演出した「東京オリンピック」に思いを馳せる。あの傑作の息遣い。選手の筋肉や呼吸、陸上競技のピストルの音など、明らかに映画としての質にこだわった映画。五輪に集うアスリートの存在感を大画面に余すことなく示したことで歴史に残る映画となった。 河瀨直美監督も当然当時の映画を見ているはずで、しかも今回の五輪の周辺環境が大きく前回と異なることを受けて、最善の編集を施した映画だと思う。市川崑作品を受け継ぎながら、時代を超越した全くことなる切り口の映画にした。それは河瀬監督がこれまで作り上げてきた映画作品を貫くもの、ひとつは弱者目線をこの映画は壮大なスケールで示そうとしている。 映画は極力音楽を使わずナレーションは一切ない。その場の空気や映像をそのまま切り取っている。感動的なシーンでも決して過剰な演出は控え、そのまま映し出す。そして競技の結果は問わない。むしろ競技に至るまでに過程を丁寧に描いている。 河瀬監督だから、というわけでもなかろうが、この映画に主人公がいるとしたらそれは”女性”だ。アスリートとしてたくましい”女性”が中心ではあるが、必ずしもそうではない。これまでの河瀨直美作品が示す”社会的弱者”を中心に据えようとする意思が伝わる。中でもバスケットボールのシーンは極めて感動的だ。まず映画の冒頭で生まれたばかりの子供を連れて競技に出場するカナダの選手が紹介される。彼女が母乳をあげるシーンや、夫が必死に子供の世話をするシーンなどを必要以上に延々と映し出す。このカナダの選手は「五輪に出るからといって子育てを放棄できない。両方ともこなす。」と語る。このシーンが、最後に女子バスケットボールチームが驚異の躍進で決勝でアメリカとぶつかるシーンまで繋がっている。チームの躍進も感動的だが、そのシーンを誰もいない客席から、カナダの選手と同じように生まれたばかりの子供を抱えて観戦する、かつてのバスケチームのエースがいる。カナダの選手と日本の選手がふたりとも赤ん坊を抱えて話しをするシーンで我々は気づかされる。決まりごと(子育てしながら選手はできない)を守るために夢を捨てる日本人と、ルールを曲げて(あるいはルールの範囲ギリギリで)自分の夢を実現するために最善を尽くそうとするカナダ人。 これは日本という国民性を描く映画なのだ。 反対に柔道を追うシーンでは「切腹もする覚悟」など、現代とは思えない恐ろしい言葉が行き交う。彼らに罪はないだろうが、彼らをそこまで追い詰めてメダルを獲得することが本当に必要なことなのか。鬼の形相でメダルを獲得した大野将平選手が、メダルを獲得したあと人づてに「怖かった」と語ったのは本音だろう。いまは江戸時代の封建社会ではないのだ。柔道のシーンで、1964年にオランダのヘーシングを映すシーンがある。彼は決勝で技を決めた後、画面から消える。その理由が「靴を履いて畳に上がろうとした人を止めた」からだという。日本人が世界に広めた柔道を、日本人以上にルールを守ろうと務めた人柄を伝えるシーンだ。 どんなスポーツにもルールがある。そして国家にも法律というルールがある。しかし困ったことにどこにも書いていないルールに”慣習”や”前例”というのがある。五輪という舞台を描きながら、河瀬監督は国家あるいは人類がルールという制限の中でどう生きるべきかをこの映画で示そうとしている。 切腹する覚悟で挑んだ柔道の団体戦で敗れた日本。子育てのためエースが離れた女子バスケ。彼らは様々なしがらみというルールの中で勝利し敗れ、その場から姿を消してゆくのだ。 河瀨直美らしい作品だった。素晴らしかった。 映画や五輪をめぐる製作上の過程で、この映画が正当に評価される機会を失ってしまったことを遺憾に思う。映画は素晴らしい作品になっている。
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