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鑑賞日 2023/01/21  登録日 2023/01/21  評点 - 

鑑賞方法 VOD/Amazonプライム・ビデオ 
3D/字幕 -/字幕
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子どもたちの視線

素晴らしい映画だった。心から感動した。この映画が世界に示されたとして、これまで過去の映画でおそらく一度も映されたことのない重要なシーンがある。これは五輪を描きながら五輪の映画ではないのだ。そのことに気づくべきだ。

(略)

はじめに立場を明らかにするが、自分は五輪開催に反対である。幼い頃からテレビで興奮した五輪を、この大会では一度として見ることはなかった。夢にまで見た東京開催だったが、この五輪は中止すべきだったという立場である。映画の中にも不愉快に思える反対のデモやシュプレヒコールが聞こえる。バッハが広島で頭を垂れる背景に反対の声。そのことの良し悪しは別にして、映画の中で記録される重要なシーンだ。

押谷仁教授がこの映画の水先案内人だ。人類は常に負け続けていて、それを構成する社会(大人)が間違っている。若者(子どもたち)は間違っていない、と静かに語るいくつかのシーンは極めて感動的だ。押谷氏はここで「人類が是正するチャンスだ」と言葉していて、このセリフが映画の合間で美しく輝く子どもたちの表情へ波及している。この映画が「SIDE:A」と別の作品としているのは、競技者を軸に描いた「A」に対し、人間全体を俯瞰している点である。欲望、挫折、怒り、悲しみ、感動、その先に小さな子どもたちの視線がある。その視線の先にあるものが、もしかすると必ずしも明るいものではないかもしれないが、少なくともこのとき、日本はこういう選択をしたのだ。そしてその結果が正であれ負であれ、この美しき子どもたちに負荷させた大人がいた事を記録したドラマがこれだった。見事な着眼点だ。

この映画は、間違いでなければ、大きなスクリーンで東日本大震災を初めて写した映画ではないだろうか。あの時震災があった。その震災のおぞましきシーンを、この映画はわずかのシーンだが惜しげもなくスクリーンにぶつけている。震災があった廃校の教室に「メダルをとって戻ってくる」と書き残したバドミントンの桃田選手のシーンは心をえぐられる。映画は「SIDE:A」同様、競技の結果やメダルの行方をほとんど追うことがない。クーベルタン伯爵が残した言葉どおり、五輪はそこに至るまでの過程を問うものなのだ・

「A」で柔道のヘーシングを写し、こちらの「B」では唯一1964年を示すシーンに、マラソンの円谷選手を紹介する。重圧に敗れその後自殺した円谷氏のことを、この映画はワンシーン紹介するだけで何も語らないが、日本の関係者が異常に献身的で命がけの姿勢、捨て石になる思いで支えているシーンが幾度も出てくる。ある種これらのシーンは日本人を感動させるものだが、冷静に考えるとこれが正しいかどうかはわからに。身を削ってまで五輪に挑むことの本当の意味はあるのだろうか。

開会式や閉会式をめぐるシーンで、二転三転する運営側のおそまつな面はともかく、野村萬斎氏が痛烈に批判するシーンも刺激的だ。電通という会社名まで出して批判し、それを映画でもそのまま残している。

このように考えると、この映画は日本の構造を抽象的に示す、極めて示唆にとんだ映画である。コロナという未曾有の中、異例づくめで行われた五輪の根底に潜むおぞましい部分を想像させつつ、子どもたちの未来を強く慮った映画だったと思う。

返す返すも河瀨直美監督の才能を実感できる傑作だった。素晴らしかった。