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鑑賞日 2025/04/08  登録日 2025/04/08  評点 83点 

鑑賞方法 映画館/東京都/ヒューマントラストシネマ渋谷 
3D/字幕 -/字幕
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苦しみのない日

オウムの姿をした死を司る鳥、その名も「デス」の耳には、無数の人々の苦しそうなうめき声が響く。
「怖い」「死にたくない」
最期を悟った人々は、懇願する、呪詛の言葉を吐くなど様々な形でデスを拒否しようとする。
それでもデスが翼を翳すと彼らは優しい死に包まれる。
が15歳の少女チューズデイは違った。
彼女はデスをジョークで笑わせる。
また爆音によってパニック状態に陥ったデスを、彼女は優しく包みこんで宥める。
そして醜く汚れた彼の身体を洗い清めようとする。
結果的にチューズデイは母親が戻るまで寿命を延長されることになる。

とても寓意的な物語で、生きることについて深く考えさせられる映画だった。
人は未知のものを恐れる。
死は誰にでも訪れるのに、誰も死んだ後の世界を知ることが出来ない。
だから死は最も身近で、最も未知な恐ろしいものだ。

しかし、死よりも生きることの方がずっと過酷なのだと思う。
人生とは痛く、苦しいものだ。
それはデスにとっても例外ではない。
「苦しみのない日がいい日だ」という彼の言葉が印象的だった。
それでも人はいくら人生が苦しくても生きることを望む。
その苦しみの中に意義を見い出し、幸福になることを目指して。

デスがすぐにチューズデイを殺さなかったのは、彼女の言動が面白かったからだ。
相手を楽しませるということは、人生において実に有意義なことだ。
そしてチューズデイは招かれざる客であるデスの身体を、我が身のように気遣う優しさを見せる。
彼女の意識は自分ではなく、相手に向いているのだ。
そういう人物は人の興味を引く。

一方、チューズデイの母親ゾラは正反対のタイプのようだ。
彼女の意識は常に自分に向いている。
チューズデイとの会話も一方的だ。
そんなゾラは、チューズデイが自らの死を受け入れたにも関わらず、デスの存在を完全に拒絶してしまう。
彼女はデスを叩き潰し、火を放ち、挙げ句その残骸をむしゃむしゃと食べてしまう。
かなり常軌を逸した行動だが、何らかの暗喩が込められていそうだと感じた。

ゾラの行動によってチューズデイは生き永らえる。
が、ゾラの独りよがりによって、死を奪われたあらゆる生き物たちが苦しみの声を上げることになる。

中盤から予想外の展開になり、ホラーのような、コメディのような独特の世界観が拡がっていく。
あれだけ死を怖がっていた人々が、死に感謝するようになるのはとても皮肉なものだ。
人は人生が有限であることを知りながら、まるで無限に人生が続くかのように毎日を生きている。
が、本当に人生が無限だと知ったら、おそらく少しずつ生きるのを止めていくのだろう。
最初はおぞましく思えたデスが、とても愛嬌ある存在になっていく過程が興味深かった。
それはゾラも同じで、物語が進むにつれて彼女こそとても人間くさい存在なのだと思うようになった。
この映画の主人公はチューズデイでも、デスでもなく、彼女なのだろう。

変幻自在に大きさを変えられるデスが、オウムの姿をしているのは、きっと物真似が上手いからなのだろうと納得した。