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「されどわれらが日々」より 別れの詩
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これは不思議な映画だ。女性の自立そのものを真っ向から取り上げた真摯な姿勢は評価するが、新たな生き方として描く具体的なエピソードが随分古く見えてしまう。女性の自立に関する流れは、この映画の公開から50余年の間に目覚ましい変革があったためかと思う。 ウーマンリブ、ミーツー、男女雇用機会均等法、女性活躍推進法、ダイバーシティ、SDGs、東京証券取引所プライム上場企業(問題のフジテレビはこれに当たります)の女性役員比率目標(努力義務)など世間における女性開放の速さが、この映画で捉えた女性の自立をとても古臭い感覚として置き去りにしてしまったのだと思う。 映画は藤田みどりケースと小川知子ケースとを女性の自立の視点から対照的に描いている。二人は会社で机を並べる同僚である。 藤田みどりの自由恋愛型ケース。 藤田みどりは妻子ある男(北村和夫)と遠距離恋愛をして毎週末には新幹線で会いに行く。本妻が藤田みどりを訪ねてくる。本妻を南風洋子が演じていた。結婚して子供を産み育てる本妻と、自由な恋愛を求める藤田みどりの相反する生き方が言葉での応酬となる。 藤田みどりが「奥さんは本当の男と女の愛がどんなものか分からない不幸な方だわ」と結婚という形に安定を見出そうとする本妻の没個性的な生き方をなじる。本妻はこの問題の解決方法として藤田みどりの両親まで話し合いの場に引き出そうとして、あくまで社会の約束事で押し切ろうとする。 話は平行線だったとはいうものの、これをきっかけに、藤田みどりは男と別れる決心をする。思い出の写真をハサミで刻んで送り火のように庭先で燃やすシーンを経て、男と地下道で別れるシーンが情感を込めて丁寧に描かれている。そして彼女は若い男(村井国夫)と見合いして安定した結婚生活に入る。 彼女にとっての「別れ」は観念ではなく、生々しい情感として捉えている。藤田みどりは藤田敏八監督「八月のぬれた砂」もいいが、この作品もなかなかの好演だった。 小川知子の伝統型ケース。 寿退社して家庭に入って、毎日夫に食事を作ってあげる。これが愛である、といわれることに、小川知子はしっくりしなかった。何故しっくりしないのか、自分でもハッキリとは言葉にできないけれど、何だかしっくりしない。 小川知子の場合は男(山口崇)とは永遠に別れてしまうのではなく、伝統型を乗り超えるために、ここでは一旦関係を終結させるが、将来、乗り越えた新たな次元で再会すること(再統合)を期している。 ここには、人間が成熟していくことへの信頼が窺えるのだが、真正面からそれを言う時、カッコいいけれどこれはいかにも観念的で知的で嘘くさい。その大きな理由は、「再統合」を言葉で説明してしまっていることにある。公開当時はこのナレーションは大学紛争への傾倒を一種の通過儀礼として人間の発達過程に重ねていたようだ。 これはまさに観念先行だった。小川知子の自立は潔くてカッコいいが、静かに語りかけるナレーションと共に何とも観念的説明的で、人間の発達過程を映像で解説されているようで生々しさがない。アカデミックで整合性があるけれど綺麗過ぎる。 観念的説明的なエピソードとして、彼女は事故に遭って松葉杖に頼らず独力で歩こうと頑張る場面がある。ここは自分一人の力で歩もうとする自立性を象徴的に描こうとしているようだが、抽象(自立)と具象(自力で立ち上がること)との関連があまりにも見え透いていて、それを映像で見せる作家の純粋さに、その人間性は尊敬するものの、映像技術としては余りの単純さに唖然とさせられる。 これは橋本忍の脚本らしくない。橋本忍は娘さん(橋本綾)に押し切られたのだろうか(これは私の勝手な想像です)。
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