男性      女性

※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。

KINENOTE公式Twitter

鑑賞日 2025/03/20  登録日 2025/03/22  評点 80点 

鑑賞方法 映画館 
3D/字幕 -/-
いいね!レビューランキング -位

知られざる世界を覗き見するような面白さ

 ローマ法王を選出する選挙、いわゆるコンクラーヴェは世界中から大きな注目を浴びる伝統と格式に則った選挙制度である。これまでに数多くの法王が誕生したが、個人的には前々任者ヨハネ・パウロ2世の印象が強く残っている。在位期間が長かったというのもあるが、テレビなどでもよく目にしたので何となく馴染み深い。

 そんなコンクラーヴェの内情に迫ったのが、この「教皇選挙」である。
 外から見るのと中から見るのとでは大違いで、泥臭い駆け引きや陰謀、欲望渦巻く戦いが繰り広げられ、神聖なイメージとは程遠い骨肉の争いが展開される。当たり前であるが、聖職者だからと言って全員清廉潔白なわけではない。夫々に大なり小なり野心を持っているし、他者を陥れてでも頂点に立とうとする狡猾さも持っている。聖職者である前に一人に人間なのだ。

 以前、オットー・プレミンジャー監督の「枢機卿」という作品を観たことがある。これは、情熱にあふれた若い神父がカトリック教会の実情を目の当たりにして信仰心が揺らいでいく…というドラマだった。そこにもコンクラーヴェは登場してきた。票集めに躍起になる取り巻きや、裏で駆け引きに興じるフィクサー的な存在が出てきて、やっていることは政治の世界と一緒で権力の座を巡る派閥争いである。

 本作にも一癖も二癖もある個性的な枢機卿が登場して、激しい選挙戦が繰り広げられる。
 リベラル派のベリーニ枢機卿、保守派のトランブレ枢機卿、初のアフリカ系教皇の座を狙うアデイエミ枢機卿、現在のカトリック教会に批判的な伝統主義者のテデスコ枢機卿。更に、ここに本作の主人公であるローレンス主席枢機卿、前教皇から直々に任命されてはるばるアフガニスタンからやって来た若きベニテス枢機卿が加わる。

 教皇に選出されるためには全体の2/3以上の票が必要で、決まらなければ何度でもやり直すという方式だ。今回は急な選挙ということもあり、これだけ候補者が並び立つと票は当然、分散してしまう。そのため何度も投票が繰り返されることになる。その間、各候補者の思惑が複雑に絡み合いながら、票取り合戦はヒートアップしていく。中にはスキャンダラスな事実が発覚したり、ある種俗っぽさもあるのだが、そこも含めてエンタテインメントとして非常に上手く作られていると思った。

 物語は終盤から意外な展開に突入していく。
 カトリック教会という”組織”に仕えるのか?信仰の源である”神”に仕えるのか?この問題はローレンスの中で常に問われ続けられるが、それが”ある人物”の声によってついに解消される。
 正直、このクダリはやや安易という気がしなくもなかったが、ただ本作はこの後にもう一段階どんでん返しが用意されていて吃驚した。ここにこそ本作の言いたいテーマがあったのか…と唸らされた。

 これを”革新”と捉えるべきか、それとも伝統を破壊する”反乱”と捉えるべきか。それは観た人それそれが判断する所であろう。
 現在、世界中に叫ばれている多様性にしてもそうなのだが、夫々の立場が夫々の思想を持っていて当たり前である。
 こうした意見の対立は実は重要なことだと思う。但し、ただ一方的に自分の主張を言い合うだけではダメである。そこから何かを学び取らなければ意味がないと思う。夫々に自らを省みることで歩み寄る姿勢というのが必要なのではないだろうか。
 劇中でローレンスが語る言葉。”確信”ではなく”疑念”を抱くことの重要性。その言葉の意味が身に染みる。

 本作はコンクラーヴェの実情=”闇”に迫るだけに留まらず、既存の伝統的価値観を安易に鵜呑みにすることの危険性、時代と共にその価値観が刷新されていくことの重要性を訴えている。同時代性という観点から見ても、極めて普遍的なメッセージを言い放っているように思う。

 尚、本作のローレンスは、最初から自分は教皇に相応しくないという立場を取っている。ローマ教皇ともなれば相当の重責を負うことになる。そのプレッシャーを嫌ってのことだと思うが、彼を見てナンニ・モレッティ監督の「ローマ法王の休日」という作品を思い出した。この映画は、誰も法王になりたがらず、小心者の主人公が半ば押し付けられる形で法王になってしまうというコメディだった。教皇の座に就くことは確かに名誉かもしれない。しかし、それが本人にとって本当に幸せなことなのかどうかは誰にも分からない。