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鑑賞日 2013/10/06  登録日 2013/10/07  評点 10点 

鑑賞方法 映画館/埼玉県/ユナイテッド・シネマ入間 
3D/字幕 -/-
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稚拙な学生映画のようで、松本人志の良さが不発に終わった作品

一作目の大日本人と三作目のさや侍が表なら、二作目のしんぼると今作R100が裏といった感じなんだけど、今回で演出力のなさがより浮き彫りになってしまった。しんぼるもそうなんだが、面白そうなアイデアのみの、アイデア落ちのような作品で、松本人志のビジュアルバムテイストだから、長編には向かない。なんだかダラダラと歩くシーンが続いたり、意味のないカットが多く、時間を持たせるのに無理がある。30分の映画を2時間にした感じなのでとても退屈であった。

松本人志が表現するSとMが一体何なのか。それが全然わからなくて、彼の哲学が見えてこない。見えても、とても浅はかで薄っぺらく、何年も前にラジオで言ってた事だったり、ごっつでやってたことの延長線上にあるようなものが散見され、新しさもなければ深みもなく、驚きもない。

松本人志のSとMは、とてもテレビ的な印象で、幼稚なものにしか見えない。
Sと言ったら、露出度の高い、黒皮の女が鞭やロウソクで痛めつけるんでしょ?みたいなステレオタイプ的な考えがとても馬鹿馬鹿しく思える。
しまいには、Sは行き過ぎるとMになり、その逆もまた然り。だとか。正直、は?といった感じ。だからなんなんだと。
まず、Sは女であり、Mは男であるという側面しか見せず、その逆は一切現れない。しかも、主人公が何故Mっ気があるのか、それをどう悩んでいるのか、或いはどんなプレイを渇望し、どういった経緯であの怪しいクラブに行き着いたなど、すっ飛ばしてしまう。

だったら園子温監督のSとM論の方が断然面白い。
彼が言ってたのは、Sというのは元々マルキドサドの話であって、本気で殴るなら本気で殺さないといけない。手加減はない。本当のSは、奉仕する感覚がないから相手はMではない。本物のSは相手の好きな男を殺して、男のベッドで泣いている女を犯すような行為である、と言っている。
一方Mというのは、精神的トラウマの衝動。例えば自分の女が他の男とやっているのを見て性的興奮を感じるのがMなのだと。
つまり、SとMはコインの裏表のようなイメージがあるが実は全くの的外れなのだ。

このように、SとMを描くのなら歴史や文化をもとにした上で物語を描くか、或いは全く新しい独自の持論を展開させた方が面白いのだが、松本人志の場合、日本人が持っているテレビ的なSMの印象を全く裏切ってくれない上に、いつ女王様が来てプレイが始まるかわからないスリルというアイデアだけなので、その行為そのものに面白みがないのだ。

因みに、このいつ来るかわからないスリルというアイデアの原案は、以前ラジオで松本人志本人が言っていた。それは、人間一度成功してしまったり、定年退職してやり切ってしまうと、人生に緊張感がないため、誰かに金をやって、例えば一年間自分を追ってもらう。そしてそいつに見つかってしまった時は、何をしてようが、思い切りどつかれる。そうすることで緊張感が生まれスリリングな人生になる、と笑い話で言っていた。
実はこの物語をSMを絡ませずに素直にやっていた方が面白かったかもしれない…。
ごっつの企画にあったオジンガーみたいなおじいさん使って…。

あとベートーベンの第九の問題。冒頭でベートーベンの話を熱心にするシーンが、ただ単にあのオチのためのフリの役割になっているだけで、全く物語に関係なく必然性がない。ベートーベン好きというのが、キャラクターの説明にもなってないし、もうめちゃくちゃ。それであんな風にオチを持って来られても、あれじゃフリのためのフリでしかないので、つまらないよ。
また、ベートーベンの第九を選ぶ辺りも、ほら深そうでしょ?意味あり気でしょ?文化レベル高いでしょ?とアピールしているようで何だかなぁ。だったらアイドル曲を主人公が聴いているシーンをちょこっと入れて、最後もその曲になったほうがいいんじゃん?
アイドルっぽい女王様を登場させてみても面白そうだしさ。
そう思うともっと色々やりようあったよね。

今回、さや侍を経て、改めて映画を壊しにいったと松本人志はインタビューで言っていたけど、それは恐らく特にメタ演出の事を指しているのだろうが、メタ演出なんてのは今まで何度もこすられてるアイデアで斬新でも何でもない。それを斬新とするなら、映画に関して無知すぎる。そんなのやり尽くされてるんだから。
しかもそれが物語と上手く絡み合うわけでもなくて、中身がない。ミヒャエルハネケのファニーゲームとか見た方がいいよ。
松本はインタビューで、映画に関しては無知でいると言ってるが、映画が何かわからなければ映画を壊す事なんか無理なんだよな…。
そして、そのメタシーンがまたこれ言い訳がましくて、分かっててこんな馬鹿な事やってますよ、だから物語の矛盾とか流れの違和感を指摘するのはナンセンスですよ?みたいなアピールがとてもしんどかった。
そんな事言ったら何処を批判しようが全てナンセンスとされて元も子もないじゃないか…。
終いには100歳を超える老人監督が映画を撮った事にして、100歳を超えないと理解できないなんて…
はぁ。

まぁそれでも好きだったシーンとかはあって、例えば息子が亀甲縛りされて吊るされてる所。あそこは松本人志的な笑いだと思う。ちょっとドキッとさせられ、笑うのに躊躇しちゃいそうなブラックユーモア。ここは個人的に好きだった。
あとは、さとえりが寿司を潰すシーン。これ、ビジュアルバムで前にやってるんだよね。何度も同じ事やんないでよーとは思ったものの、あれはやはり面白かった。
丸呑みの女王様は、正にごっつええ感じの、奇妙な殺人現場を刑事たちが検証しながらボヤくコントシリーズだと思った。あれっていうのは大日本人で言うところの獣のようだ。食べるの獣とか、ツバ吐き獣とか、声モノマネ獣とか。その路線でいったらまだ面白いのになぁと思ったけど、それも中途半端。他の女王様の能力には全く触れないし…。

なんだか、斬新な事やって映画を壊そうとしてもこうやってすべっちゃうんだから、そんな事気にしないで面白いと思うことをもっと素直に好き勝手にやればいいのに。
評価がついてこないから焦って周りの目を気にしてるのが映画を通して伝わってきてしまう。

あらゆるシーンでの説明的な台詞もすごい気になるし、会話シーンでも2人とも何かをしながら会話するんじゃなくていちいち動きを止めて、相手と面と向かって喋ってるのも、演出力乏しいなぁと感じずにはいられない。そこのところ、是枝裕和監督の作品を参考にして欲しい。

そしてどこから連れてきたのか…あの素人の外タレとか、怪しいおじさんに記号的に松尾スズキを使うセンスとか、何だか安いなぁと思ってしまう。

やたら音楽も多くて、ミュージックビデオの羅列を見ている様だった。安易に泣かせるような音楽を使って強引に感動させたり、雰囲気を作ろうとするのは、演出力の無さの表れだよ。さや侍の時もそうだったが、より悪くなっている。

総合的に、まるで斬新な映画を作りたがってる学生の作品を見てるようだった。稚拙すぎて見てるこっちが恥ずかしくなってしまった。

次回作は、変に奇を衒おうと躍起にならないでいいから、ビジュアルバムの路線で面白いもの作っていったらいいのになぁ。