とめは、母親の松木えんが忠次を婿にもらって二カ月目に生まれた。母の乱れた生活の中でとめは育っていった。昭和十六年二三歳で、とめは高羽製紙の女工となったが日本軍がシンガポールを落した日、とめは実家に呼び返され、地主の本田家に足入れさせられ、出征する俊三に無理矢理抱かれた。翌年の秋とめは信子を生み、本田の家を出て、信子を預け再び高羽製糸に戻った。がそこで係長の松波と肉体関係を結び終戦を迎えた。工場は閉鎖となり実家に帰ったが、再開した高羽製糸に戻り、松波の感化で組合活動を始めた。過激なとめの活動は、会社に睨まれ、又、課長に昇進した松波からは邪魔とされた。高羽製紙をクビとなったとめは七歳になった信子を忠次に預け単身上京した。松川事件で騒然とした時であった。基地のメィドや売春宿の女中と、体を投げ出すとめの脳裏を、信子の面影が離れなかった。宮城前広場でメーデー事件があった数日後基地のメイド時代に知り会ったみどりに会い、とめも共に外で客をとるようになった。信子への送金を増すためであった。問屋の主人唐沢がとめの面倒をみてやろうと言い出したのは、丁度こんな時だった。がそれもとめの豊満な肉体めあての愛のない生活であった。新しくコールガール組織を作ったとめは、どうやら生活も楽になり、念願の忠次と信子を故郷から呼んだ。しかし、それもつかの間心の支えであった忠次は亡くなりそのうえ、とめは仲間の密告から売春罪を課せられ刑に処した。刑期を終えたとめを今は唐沢の情婦となった信子がむかえた。恋人の上林と開拓村をやる資金欲しさに唐沢に体をあたえたのだ。契約期間が過ぎると信子は故郷へ帰り上林と開拓村をはじめていた。唐沢の店を持たしてやるからとひきとめる言葉を胸にとめは故郷の土を踏んだ。健康な二人を前にして、やはりとめの心は店をきりもりする安楽な母娘の姿を描いていた長い間の人生の波にもまれたとめが、最後にもとめたささやかな夢だったのだ。