奥州仙台六十二万石の城主伊達綱宗は、江戸の屋敷にあって乱行をつづけ、分家の伊達兵部、江戸家老原田甲斐等の策謀によってそれがますます激しくなって行く。老臣伊達安芸は、彼ら奸臣をのぞき、御家の危機を救うため、白河主殿、松前鉄之助を江戸に放った。その間に甲斐から流用された大金一万両で、遊女高尾を身請けしようとし、拒絶された高尾を切った綱宗の乱行はひどくなるばかり。甲斐を信用して綱宗諌言に参上した主殿は、曲者に殺害されてしまった。明けて万治三年、綱宗は不行跡によって隠居を命じられ、幼少の亀千代が家督を相続、伊達兵部が後見役、鉄之助と殺された主殿の妻浅岡、その子千代松が側近に侍ることとなった。だが、甲斐はその時いよいよ本性をあらわし、伊達兵部の子市正を当主に迎えるべく、兵部、大老雅楽頭と計って亀千代毒殺を行おうとする。膳部に毒を盛ったが鉄之助の発見によって果さず、届けられた菓子折は千代松が身代りに食べて死んだ。安芸、鉄之助はいよいよ実力で奸臣をのぞこうと、老中内膳正に兵部と甲斐の横暴逆意を訴えた。たちまち起る両者の大論争。甲斐の弁舌、雅楽頭の審理引延ばしなど、確固たる証拠もあがらぬまま、訴状は危うく却下されようとした。が、鉄之助が単身原田邸に忍び込んで手に込れた一味の連判状が呈出され甲斐も返す言葉がなかった。彼は安芸を別室に呼んで斬りつけたが、乱闘の末、鉄之助は甲斐を倒した。