昭和2年、東京市本郷区団子坂にある古本屋・粋古洞の女将・須永時子は、伝説の責め絵師・大江春泥の「不知火」の雁作作りを蕗屋清一郎という画家に依頼した。蕗屋は、見事に「不知火」の雁作をふたつ拵えてみせるが、本物の「不知火」は燃やしてしまい、残ったふたつの雁作を時子に渡す。そうとは知らず、絵の出来映えに満足した時子は、続けて春泥の「明烏」を拵えるよう、蕗屋に依頼する。ところが、吉原の遊女を折檻する場を描いた「明烏」の雁作作りには、さすがの蕗屋も困難を強いられてしまう。時子から送られたマユミをモデルに使うも、どうしてもうまく描けない。そんなある日、彼はマユミの衣裳を着た自分の鏡に映る姿をモデルにすることで、「明烏」を完成させるのであった。果たして、蕗屋の描いた「明烏」の出来映えに、時子は再び満足した。だが、蕗屋は訪れた粋古洞で、「明烏」のモデルが実は時子だったことを聞かされ愕然となる。彼は、雁作を作った後に本物をこの世から消し去ってしまうことを慣わしとしていたからだ。自分をモデルにして描いた「明烏」のオリジナル・モデルが、この世に存在してはならない。そこで彼は、「明烏」の代金を受け取る為に再び粋古洞を訪れた二日後、時子を絞殺するのであった。さて、時子を殺害した蕗屋が去った後、店に戻ってきた従業員・斎藤が時子の死体を発見するも、その際、彼はほんの出来心から時子が盆栽に隠しておいた札束を盗んでしまう。そのことが警察にバレて、彼は殺人の容疑者として警察に逮捕されるのだが、予審判事の笠森は斎藤が時子殺害の犯人だとはどうしても思えなかった。彼は、蕗屋のことを疑っていたのだ。そこで、斎藤と笠森を最新鋭の機械を使った心理試験にかけることにするが、結果は斎藤が犯人であることを明白にするばかり。それでもまだ確信が持てない笠森は、遂に友人の明智小五郎に試験結果を見せることにする。果たして、その結果を見た明智は、蕗屋が犯人であると断言した。彼が心理試験の内容を、予め把握していたような答え方をしているのが見て取れたからだ。更に、明智は時子殺害現場にあった屏風を使って、蕗屋が真犯人であることを証明。見事、事件を解決してみせるのであった。