旧満州(現・中国)新京市(現・長安市)の生まれ。本名・浅井信子。四人姉妹の二女で、父は満州国経済部大臣秘書官をつとめ、彼女が3歳の時、軍属として家族をつれてタイのバンコクに移住するが終戦後の1946 年7月、バンコクから引き上げる。56 年、今川中学から菊華高校に進む。中学在学中の54 年、日活が読売新聞の北條誠の小説『緑はるかに』を映画化するにあたり出演者を募集、彼女はこれに応募し、3000 人の応募者の中からヒロインの少女・ルリ子役を射止め、55 年、井上梅次監督による同名映画でデビュー。芸名は井上の命名により役名から取って“ 浅丘ルリ子” とする。映画そのものは他愛のない少年少女の冒険譚ではあるが、彼女は可憐で勘のいい芝居をして好評を得た。54 年に製作を再開したばかりの日活には、月丘夢路、北原三枝、芦川いづみなどの人気女優がいたものの年齢層が高く、彼女は貴重な娘役として出演作が相次ぎ、長門裕之や津川雅彦を相手に可愛らしいヒロインを演じた。このころ高校は自然と中退となる。57 年、デビュー2年目で人気上昇中の石原裕次郎と「鷲と鷹」で初共演。裕次郎とは翌58 年、「夜の牙」「明日は明日の風が吹く」、「男が爆発する」59 では北原三枝とヒロインの座を分け合い、「世界を賭ける恋」59 では建築家の裕次郎が渡欧中に病死する恋人に扮した。しかしこの時期の彼女の相手役としては、56 年にデビューし、裕次郎に次ぐスターとして頭角をあらわし始めた小林旭が圧倒的に多い。58 年は「美しい庵主さん」「踏みはずした春」に次いで、滝沢英輔監督の封建的な農村を舞台に、地主の息子と山番の娘の悲恋物語「絶唱」では、清新なイメージで観客の涙を誘い、映画もヒットを記録。続くペギー葉山のヒット曲を映画化した斎藤武市監督の「南国土佐を後にして」も大ヒットを記録して、裕次郎・北原三枝に次ぐ、旭・ルリ子のコンビが誕生した。「南国土佐を後にして」を母胎に生まれた「渡り鳥」シリーズ全8作(59 − 62)、「流れ者」全5作(60 − 61)という旭のふたつのシリーズ全作に相手役をつとめ、呼吸のあった共演を見せるようになる。いずれも地方都市に流れてきた青年が地元のやくざを倒し、いずこへと去っていくというパターン化されたストーリー展開で、ルリ子は旭に想いを寄せる土地の可憐な娘として登場。さらに旭のもうひとつのシリーズ「銀座旋風児」全5作(59 − 62)のうち4作にヒロインとして出演。ほかにも「女を忘れろ」「群衆の中の太陽」59、「太平洋のかつぎ屋」「太陽、海を染めるとき」61 に共演するなど、彼女はこの3年間で、59 年は14 本のうち9本、60 年は16 本のうち11 本、61 年は12 本のうち10 本と、旭の相手役をつとめる。しかし62 年11 月25 日、旭が美空ひばりと結婚をしたことを機に、2人のコンビは事実上、解消。彼女は北原三枝、芦川いづみに次ぐ裕次郎の相手役として起用されることになる。新しい裕次郎とのコンビ第1作目が「銀座の恋の物語」62 で、「世界を賭ける恋」59 以来の共演となり、記憶喪失の娘を好演。同時に監督・蔵原惟繕によって男性映画に花を添えるだけの存在にすぎなかった彼女は、女優としての開眼の機会をつかみ、同じく蔵原監督の「憎いあンちくしょう」62 では裕次郎を相手役に、売れっ子タレントの恋人兼マネージャーに扮して、倦怠期にさしかかった2人の関係を再燃させようと行動する女を、眼を見張らせるばかりの熱っぽい演技を披露。さらに舛田利雄監督「花と龍」62でも玉井金五郎役の裕次郎の気丈な妻マンを演じ、蔵原の「何か面白(おもろ)いことないか」63 では、ボロのセスナを飛ばすことに執念を燃やす裕次郎に魅かれるヒロインを熱演、おとなの女優へと華麗に変身していく。63 年、日活と同じく男性路線を進める東映が、佐久間良子を主演に田坂具隆監督で「五番町夕霧楼」を製作して大きな反響を呼んだが、これに刺激された浅丘は、日活の企画に少なからず不満を抱くようになる。64 年1月、今まで父親が代行してきた契約更改に自ら乗り出し、他社出演も希望する。それまで会社から持ち込まれた企画を一度も拒否したことのない彼女だったが、ここではじめて女優としての自己主張をするようになるのである。そうした意欲は彼女の100 本記念映画に如実に反映され、自分の希望を通して蔵原監督の「執炎」に決定させる。村の青年と恋に落ちた平家の末裔の格式ある旧家に生まれた娘が、兵役にとられ重傷を負って帰還した青年との熱愛を描いたもので、残された時間を青年との愛に燃焼させ、彼が戦死すると後追い心中するというヒロイン。愛する人を奪われ、ぎりぎりの世界に追い詰められ、思いつめた女の哀しさと、その底にうずく女のエゴともいえる情念を、ルリ子は体全体にみなぎらせて熱演、見事に100 本記念作品を飾ったのであった。蔵原と6度目に組んだ三島由紀夫原作の「愛の渇き」67 では、義父の愛撫に身をゆだねながらも下男の若い肉体に魅かれていく未亡人に扮し、女の屈折した肉体と精神をエロティシズム豊かに演じて、演技的にも一段と成長を見せた。こうして「憎いあンちくしょう」から「執炎」を経て「愛の渇き」へと至る過程で、名実ともにスター女優として駆け上がっていく。しかし、ここで特記すべきなのは、スターから演技派へと脱皮した多くの女優たちが、その代償として華やかさを稀薄にしたのとは違って、逆にその濃度を増していくという稀有な女優であるということだ。前記の作品と並行して、裕次郎と共演した「赤いハンカチ」64 を頂点とする、いわゆるムード・アクションのヒロインとして君臨するのである。裕次郎と「夜霧のブルース」63、「夕陽の丘」64、「二人の世界」66、「夜霧よ今夜も有難う」67、若手の高橋英樹とは「狼の王子」63、渡哲也と「勝利の男」「紅の流れ星」67 など、単なる彩りではなく、スターとしてのきらびやかな光芒を発散しながら、実在感のあるヒロイン像を主人公と対等以上に演じた。日活の衰退とともに専属制の枠が緩和され、67 年に東宝の植木等主演「日本一の男の中の男」で念願の他社出演を果たす。これを機に堀川弘通監督「狙撃」68、大映の増村保造監督「女体」69 と他社出演を重ね、石原プロの蔵原監督「栄光への5000 キロ」69、日活「私が棄てた女」69(浦山桐郎監督)、さらにNHK の大河ドラマ『竜馬がゆく』68 にも出演、時ならぬ浅丘ルリ子ブームを巻き起こし、日本映画界のトップ女優の座へと一気にかけ昇った。芸能マスコミも彼女を追いかけ、恋愛問題を華々しく書きたてたが、71 年5月14 日、日本テレビ『二丁目三番地』で共演した石坂浩二と結婚した(2000 年に離婚)。71 年末にポルノ路線に転換した日活映画に見切りをつけ、活躍の中心をテレビに移し始めるが、彼女のファッショナブルで現代的な、どちらかというとバタ臭い女優というイメージの底にある、べらんめえ調も出る下町っ子気質を見抜いた松竹の山田洋次監督に起用され、「男はつらいよ・寅次郎忘れな草」73 に11 代目マドンナとして、ドサまわりの歌手リリーの役で出演。庶民の哀歓をきめ細かく描いて人気のあるこのシリーズに、その下町情緒と彼女のバタ臭いキャラクターが反発しあいながらも、奇妙な融合を見せ、ややマンネリ化したこのシリーズに新風を吹き込むとともに、彼女もまた社会の底辺を流れ歩く女性の悲哀を巧演、新境地を開いた。この成功で山田監督は「寅次郎相合い傘」75 に再度リリーを登場させ、ルリ子も前作にまして勝気ななかにも人生の疲労感を漂わせるリリーを好演、シリーズ出色の出来となった。この演技で75 年度キネマ旬報およびブルーリボン主演女優賞、毎日映画コンクール女優演技賞を独占する。このリリー役はこのシリーズにとっても、またルリ子にとっても記念碑的な重要なキャラクターとなり、「寅次郎ハイビスカスの花」80、そして渥美清の死によって最終作となった「寅次郎紅の花」95 にも出演した。テレビには66 年、TBS『真田幸村』に出演以降、NHK『朱鷺の墓』70、『花神』77、日本テレビ『冬物語』73、『炎の中の女』78、『魔性』84、『渇いた』90、『嵐の中の愛のように』93、TBS『雪の華・建礼門院徳子』82、『鏡の女』87、『夏の家族』94、など多数ある。一方舞台では、79 年日生劇場『ノートルダム・ド・パリ』で若山富三郎を相手に初舞台を踏んで以来、日生劇場『にごり江』84、『恐怖時代』85、『刺青』90、『夜叉ヶ池』92、帝国劇場『貧民倶楽部』86、『欲望という名の電車』88、『日本橋』89、『墨東綺譚』91、そして94 年の帝国劇場『恋紅』など、ほぼ毎年1回のペースで精力的にこなした。80 年代以降は映画出演が減り、「男はつらいよ」シリーズ以外では、三島由紀夫の戯曲を映画化した市川崑監督「鹿鳴館」86 で芸者あがりの伯爵夫人のヒロインを演じて大女優の貫禄を見せ、同じ市川監督の時代劇大作「四十七人の刺客」94 では高倉健扮する大石内臓助の妻を楚々と演じ、若手の篠原哲雄監督のサスペンス「木曜組曲」01では亡くなった女流作家を存在感たっぷりに演じた。小泉堯史監督「博士の愛した数式」06 では記憶傷害の寺尾聰を優しく見守る姉、菅原浩志監督の反戦ドラマ「早咲きの花」06 では失明を目前にしたカメラマン、そして海堂尊の医療ミステリーが原作の「ジーン・ワルツ」11 では癌に冒された産婦人科医を演じている。近年の主なテレビ出演としては、NHK『逃亡』02、『川、いつか海へ・6つの愛の物語』03、日本テレビ『すいか』03、『大女優殺人事件』『セクシーボイスアンドロボ』07、TBS『小公女セイラ』09 など。舞台には『ハロルドとモード』『検察側の証人』10 などがある。95 年毎日映画コンクール田中絹代賞、99年菊田一夫演劇賞、02年紫綬褒章を受章。