新作映画「火の山のマリア」のハイロ・ブスタマンテ監督に、グアテマラの映画界の現状と、本作の製作の舞台裏について話を訊いた。
――日本では珍しいグアテマラ映画ですが、まずはグアテマラ映画界について教えてください。
「グアテマラの映画産業は非常に新しいセクターです。内戦が長く続いたことによって、文化芸術はほとんど破壊されました。今、ようやくデジタルの時代が到来、低予算の制作が可能となり、一年で六本くらいの映画が作られるようになりました。とは言え、映画産業自体がないので、映画はホールを借り切って上映するしかない。そんな状況なので、ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞するなど海外から高評価を得た作品は南米においても、『火の山のマリア』が初めてでした。お陰様で、自国でもグアテマラ人監督作品として初めて上映され、大成功を収めました。しかも光栄なことに、批評家が“『火の山のマリア』のビフォア・アフター”と称し、本作で映画界が変わったと言ってくれました」
――本作の前に4本の短篇を監督されていますが、共通のテーマはありますか?
「すべて人間とは愚かな生き物だということ。自分で勝手に自分を縛って規制を作りだす。なぜ人は物事を複雑にしてしまうのだろう、というのが永遠のテーマです。これは自分の人生で直面したことから得られたもの。人類共通のテーマ、国境のない問題だと思います」
――パリとローマで映画の勉強をされた際、影響を受けた監督、作品はありますか?
「私にとって重要だったのは、フランス映画界の映画批評。フランスでは映画は芸術であり、監督は作家として受け止められている。一般の人も芸術としてリスペクトし批評する。その状況に影響を受けました。あと、イタリアのニューリアリズムにも影響を受けた。この流れはラテンアメリカの状況に合致しているんです。映画文化が非常に豊かなこの二つの国で勉強できたのは幸運でした」
――長篇映画である本作を制作されたきっかけは?
「主人公のモデル、マリアとの出会いですね。彼女から話を聞き、これを伝えなければ、という責任を感じました。この映画は声なき人たちに声を与えたもの。そういう意味での責任感の重さです。だから至急作らなければならなかった。実際、制作にかけるお金も物もなかったので、凝縮した短い期間で激しくインセンティブな準備・制作を行う必要がありました。とは言え、贅沢に使った時間もありました。それは役者が演技に入るための3カ月の準備期間でした」
――短期間で作られた作品とは思えないですね。役者にクローズアップした画と、引いた画のバランスもよく、この土地に生きている人たちのリアリティがありました。
「クローズアップは登場人物との近さ、親密さを表しています。引いた画はミニマリスト、多いものは決してよくないという考え方に基づき、カットを割らない、丁寧な解説を入れない。すると、観る人が勝手にモンタージュを作り編集してくれるのです」
――本作にはマヤの伝統的な生活・習慣が描かれていますが、シンボリックに引用された“蛇”はグアテマラにとってどういう意味がありますか?
「蛇は強く魅了される存在で、マヤには翼をもつ蛇の神、ケツァルコアトルが国境を越えていく神話があります。ほか、どの村にも蛇を神として崇めた話が残っている。一方、スペイン人にとっては蛇=罪。カトリックでは蛇は人類に初めて誘惑をもたらせ、そこから暗い世界、悪が始まったと考えられていて、グアテマラにはその両方の考え方が混在しています」
――母娘が蒸し風呂に入りスキンシップするシーンでは、二人の関係が浮き彫りになります。この習慣はグアテマラにはありますか?
「イヌイットの住居イグルーのようなドーム型の建物に、水蒸気を使って石や草を温める蒸気風呂がマヤにはあります。この場所には体、魂を清める意味があり、私は母娘の親密性を表す場として象徴的に使用しました。母の母性が完璧であればあるほど、子どもを失い、母になれなかった娘の哀しみ、喪失のコントラスが大きくなる」
――火の山はタイトルにもなっていますが、このロケーションの役割も大きいですね。
「この日本語タイトルはよかったですね。原題は“エスカヌル”、火山という意味。この場所は祖父母のコーヒー農園でした。幼少期、ここで長く過ごし、語りを覚えた。エネルギーとマジックに満ちたところで、それが映画にも生きるのではと思いました」
――火の山の向こう側を見せないのも成功していました。
「まさに火山が現実を隠す目隠しとなり、人々の無知を描くことにもつながりました。国境を越えて旅にでる青年ペペは自分の身に何が起こるか、その現実・意味すら分かっていない。その一方で、そこに暮らす人々を守っています」
――町の描写も人里離れた村との対比が凄くきいています。
「町のシーンでは暗くなり、登場人物の衣装がさらに赤くなる。カメラワークも急に早くなり、長く離れて引いて撮る画ではなく、落ち着かない状態にしています。音も大きくし、町の生き方を知らない人たちの動揺、カオス、混乱が増す変化を表しました」
――キャストにはどんな演技指導をされたのでしょう?
「演技指導的なものではなく、主に信頼関係を築くことに注力しました。例えばマリア役の女優は体が堅く恥じらいがあったのですが、その内面に自由を求める力強さを感じ、自信をもてるよう準備。一方、母はユーモアのある女性なので、それを強調すべく女優と冗談を言い合い、それは今も続いています。出演者にはこれからも映画にかかわってほしいですね。マリアは私が現在、制作に携わっている作品に出演することが決まっています」
――次回作も楽しみにしています。ありがとうございました。
(取材・文=編集部)
「火の山のマリア」
2016年2月13日(土)より岩波ホールほか全国にて順次上映中
(C)LA CASA DE PRODUCCIÓN y TU VAS VOIR-2015