元非情の殺し屋だったイーストウッドは、3年前に妻に死なれ、幼い二人の子どもと山間で豚を飼って生活している農夫であるが、近くの町の酒場の売春婦の顔を切った牧童二人のクビに賞金がかかって(売春婦の仲間が依頼したものだ)いることを賞金稼ぎの若者から聞く。実は、この若者が賞金稼ぎの相棒にと誘ったのだが一旦は断る。子どものために金が欲しいイーストウッドは、十年ぶりにピストルを試射するがタマは空を切るどころか、馬からは転落する始末。昔の友人のモーガン・フリーマン、若者と三人で賞金首を狙う・・・。町の保安官にハックマン。賞金稼ぎにやってきたイギリス人(リチャード・ハリス)を徹底的に殴り、蹴り続ける。ガンマンを町に入れないためだ。町に入った三人だったが、イーストウッドは、ハリスと同様保安官に痛めつけられ、瀕死の傷で逃れる。彼らを助けたのは、顔を切られた売春婦だった。牧童一人を狙撃して殺したもののフリーマンいざという時にはガンが撃てないまま去る。若者は近視で遠くは全く撃てないのだった。フリーマンは保安官に捕らえられ激しい拷問を受けて遂に死ぬ。それを知らぬ二人は牧場に潜む牧童を襲う。トイレに入った牧童を撃つ若者。これが初めての殺しだったのだ。殺人を後悔する若者は、拳銃を捨て去って行く。フリーマンの死に復讐するため、イーストウッドは町へ。「1」対「町」の闘いだが、一瞬のうちに保安官を含め五人を倒したイーストウッドは、町を去って行く。ファースト・シーンは、夕陽をバックに小さな小屋と木、その脇の墓にたたずむイーストウッドのシルエットだが、ラストシーンも同じだ。ただ、イーストウッドではなく、妻の父親である。ナレーションで「父親は、こんな極悪な男と結婚した娘の気持ちは未だに分からなかった」と」かぶさる。また、「父親が訪れたとき、そこには夫と子どもは既に居なくて墓だけが残っていた」とも。「西海岸で商売に成功したという噂である」。久々の本格西部劇である。がっしりした構成で隙のない(ムダのない)力作と言える。人を殺すこと、傷つけることへの強い人間的な当たり前の嫌悪がうまく描かれている。今まで、「ダーティ・ハリー」やマカロニウエスタンなどで”殺しまくってきた”イーストウッドの本当はそうじゃないんだという心根を垣間見せたものか。そう言えばラストのクレジットで、「この映画をレオーネとドンに捧げる」とあった。セルジュ・レオーネ(「夕陽のガンマン」など)とドン・シーゲル(「ダーティ・ハリー」など)であろう。二人へのオマージュでもある。全体的に夜の暗いシーンが主体であるので映画も暗い感じがするが、ストーリーは”明るい”のである。秀作。<1993/5/4 小倉ピカデリー>