父が傷痍軍人。大島渚監督のドキュメンタリー傑作「忘れられた皇軍」に示された痛みはここにも示される。少年という意味では、デビュー作「鳩を売る少年(「愛と希望の街」に改題)」から、そして早くして父を亡くした大島渚監督自身を重ねつつ、在日朝鮮人はすでに「絞死刑」で日本人の愚かしさを立証している。
大島渚監督はこの映画のあと1971年朝日新聞に「国家」というレビューを書いていて、この映画の冒頭に映る印象的な黒い太陽について説明している。建国記念の日、つまり紀元節の復活は、国家が戦争などで人を殺すという絶対悪を合法化している限りにおいて私達は常に無罪だ」と言う。
この4人の家族がにこの国を横断して犯す詐欺行為は無罪なのだ。むしろ彼らがなぜこのような行為を繰り返すことになったのかを認識する必要に迫られる。
北海道でチビが飛び出して車が道からそれて、その車の中の美しい少女がこちらを見ている。このシーンが一時的にモノクロで語られるのは、死んだ彼女の額から鮮やかな血が額から生々しく流れるシーンを強調するためだろうか。我々の体に流れる血と日の丸に示さる太陽は対等なのだろうか。
傷痍軍人の父が傷跡を示して少年を叱りつける。まるで「死んでこい!」と命じているように見えるこのシーンは、国家がこの家族に背負わせた犯罪行為を裏付けるものだ。行き場を失った者は犯罪に身を委ねるしかない。しかし国家の犯罪行為が合法化されている限り、この家族は無罪なのである。
その意味でこの映画は、強く「戦争」を意識させる映画だ。