一億総白痴化(MSのIMEは白痴を変換できないぞ。日本語をなめてるのか?)などと言われていたり、
テレビが家に無くてテレビのある家に行って見せてもらったりしていた時代に、
「テレビ買って!」と子供がゴネるというのが、
オナラをネタにするのと共にいかにも子供らしい可愛らしさにあふれている。
それに、周りに家の少ない東京の郊外の堤防の開けた風景と、
その近くにある同じ形の平屋の家が整然と並ぶモダンな人工的なイメージ(まるで、ジャック・タチの映画みたい)との対比が素晴らしい。
しかし、そんなほのぼのムードが全体を覆っている映画の裏では、
「おはよう。こんにちは。いいお天気ですね。」みたいに、
意味は全然無いが人と人との間の潤滑油になるようなコミュニケーションや、
それとは似て非なる奥様方の井戸端会議で繰り広げられるような、
根拠の無い憶測+妬みによるお互いの蹴落とし合いなどの、
大人に向けた深いメッセージが込められている。
特に後者は、
人間関係を悪くしたり他人を傷つけたりという深刻な問題が、
国家の指導者のような表立った人によってあからさまに行なわれるとは限らず、
むしろ社会の片隅での何気ない会話の中で無自覚に行なわれることが余計始末に悪い。
テレビやガセだらけの噂話などの間接的な情報が蔓延する中で世の中をどう見るか、
それを踏まえて他人とどういうコミュニケーションをとるかということは、
テレビの登場する以前からあった、
そして今でも相変わらず世の中に横たわる大きな問題であることを、
小津らしいさりげない姿勢でしっかりと描いている。
(以上、2005年の鑑賞時に書いた感想に、若干の手直しをした文章)
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【あらすじ】
同じ形の平屋の建売住宅が並ぶ住宅地の一角。
三宅邦子が集めて組長の杉村春子に渡した婦人会の会費が無くなったことで、杉村の家が買った洗濯機に使われたのではないかと奥様方に疑われた。
子供たちの間では、おでこを押されたらオナラをするのが流行ってたが、三宅と笠智衆の夫婦の杉村の息子の実は、杉村の息子の幸造と共にアパートに住む失業中の佐田啓二に英語を教わりに通うはずが、子供たちは近所で唯一テレビのある大泉滉の家に入り浸っていて、そこに現れた杉村にどやされてしぶしぶ佐田の所に行く。
実と幸造は、実の友人の善一のガス会社に勤めている父が自由自在にオナラを出せて、それは軽石を粉にして食べているからだと言ったのを真に受けていたが、そのせいか幸造はいつも下痢腹で、パンツを汚しては杉村に怒られていた。
杉村が三宅の家に来て、杉村が会費をくすねたとのあらぬことを三宅が言いふらしていると文句を言ったが、会費は三宅が杉村の母で助産婦の三好栄子に渡して三好が持ったままだということが判って和解する。
実と弟の勇がテレビを買ってくれとごねたことに、笠が男の子はぐずぐず文句を言うんじゃないと怒り、実が「大人だって『おはよう。いい天気ですね。』などと無意味なことばかり言っている。」と反発して、それ以来2人は家はおろか学校でも口をきかなくなり、給食費を親にもらうにもジェスチャーで説明する始末。
そんな杉村が話しかけても無視したことで、杉村は杉村のことを根に持った三宅が子供たちを使って嫌がらせをしていると言いふらして、奥様方は三宅を白い目で見るようになった。
相変わらず軽石を食べている実に、佐田はおなかに石が溜まって死んだ動物園のアザラシの話をし、実と勇は軽石を食べるのをやめることにする。
休日、実と勇が家でおなかをすかせていたところに、実の先生が口をきかなくなったことで家庭訪問に来たので、2人はおひつを持ち出して近所の河川敷でご飯を食べていたところ、警官に目をつけられておひつを置いて逃げ出し、夜になっても帰って来なかったので、佐田や三宅の妹で佐田のアパートに翻訳を頼みに出入りしている久我美子が探し、佐田が2人を見つけて家に連れ帰る。
すると、笠が一億総白痴化の元と毛嫌いしていたテレビを、定年して電化製品のセールスマンになった近所の東野英治郎から買ったのを見て、2人はご機嫌になってしゃべりだし、近所の奥様方もその豹変振りの原因を詮索する。
2人と幸造が登校途中にオナラを出し合ったが、幸造は出せずにウンコもらしてしまい、家に戻って学校を休むのだった。