上映時間が7時間18分にも及ぶタル・ベーラ監督の『サタンタンゴ』を見ようと決心した方の多くがこの『ニーチェの馬』に衝撃を受けたからではないか?と勝手に想像した。ハンガリーの巨匠タル・ベーラの『ニーチェの馬』を今回初めて見て同じく衝撃を受けた。
世紀末的な終末感が半端ない。絶え間なく吹き荒ぶ風の音とあの反復される印象的な音楽が見終えた今も耳から離れない。この世の終わりに向かう数日を慎ましく生活する農夫とその娘、二人が世話する一頭の馬を通して描いた作品。反復される日常。その日常を覆うように止まない強風が漠然とした不安を掻き立てる。その風がぴたりと止んだかと思うと不気味な静寂と闇があたりを支配する。油はあるのに火の灯らないランプ。見る側の気持ちにひたひたと分け入ってくる怖しい作品だ。
川本三郎氏のインタビューによれば、休筆が続いているつげ義春氏が息子さんと観賞してとても感動したという。なるほど。これはまさに、つげ義春の作品世界そのものではないか?荒野にある一軒家が、つげ氏の場合、港町の商人宿あるいは山奥の民家、糧となる「ジャガイモ」が「いか」に変わっただけ。その描写は、まるで「つげ義春」の心象風景そのものだ。
ただひとつタル・ベーラがつげ氏と違う点。執拗なくらいの長回しで伝えたかったことは、日常の中の極貧ではなく反復だろう。セリフは極端なくらいに少なく、1日目から6日目まで、生活への眼差しが粘着質とも取れる長回しで延々と続く。見つめることに強い執着がある。そのこだわりは、見ている我々の息をも飲ませる。タル・ベーラの見つめる先にある暗転には深いため息しか出ない。