サム・ペキンパー

|Sam Peckinpah| (監督/脚本/出演/製作)

基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる

本名
出身地 アメリカ、カリフォルニア州フレスノ
生年月日 1925年2月21日
没年月日 1981年12月28日

略歴▼ もっと見る▲ 閉じる

【西部劇の挽歌を奏でるバイオレンス映画の巨匠】アメリカ、カリフォルニア州の生まれ、本人はインディアンの血を引くと自称したが、ヨーロッパ系移民の子孫である。第二次大戦時には海兵隊に従軍し、戦後に大学で演劇を学んだのちにテレビ界へ進んだ。個人的にドン・シーゲル監督と親しくなって師事、テレビ西部劇の脚本・演出が認められ劇場映画監督に進出する。映画製作時には会社とのトラブルが多く、私生活でも結婚と離婚を繰り返した。デビュー作「荒野のガンマン」(61) に続く「昼下りの決斗」(62)でその実力を認められたものの、第3作で会社側と衝突、別企画でも監督解雇など不遇の時期を過ごした。しかしテレビ作品の演出が再評価されて映画界に復帰、1969年の「ワイルドバンチ」における暴力描写やスローモーションの演出が反響を呼び、一躍大作家の地位に躍り出た。いわゆるアメリカン・ニューシネマの時代以降も西部劇やバイオレンス映画づくりにこだわり、「わらの犬」(71)、「ゲッタウェイ」(72)、「ビリー・ザ・キッド/21才の生涯」(73)、「ガルシアの首」(74)といった話題作を送り出す。この間も製作時に揉めたエピソードには事欠かず、トラック野郎軍団の迫力を捉えた異色作「コンボイ」(78)の後にも空白期間を抱え、5年後の復帰作「バイオレント・サタデー」(83)が遺作となった。【復権と破壊と再生の作家】フロンティア精神とヒーローを称える伝統的な西部劇のジャンルも崩壊を迎えた60年代当時、ペキンパーは一貫して西部劇を信望し、「昼下りの決斗」や「砂漠の流れ者」(69)などで西部劇の復権を企んだ。「ワイルドバンチ」もまた懐旧的にアウトローの仁義と連帯を描くものだが、バイオレンス描写が特に注目され、結果的に伝統的西部劇の終焉を映画史に刻んでしまう。以来、暴力描写はトレードマークとなったが、「ワイルドバンチ」も含めたほとんどの作品は賛否両論を招き、興行的に冴えなかったものも多い。アメリカ国内よりヨーロッパや日本での評価が高く、その熱狂的な評価が歴史的監督の位置に押し上げた。製作過程では、いったん脚本を破壊したうえで断片を再構成する方法論を採り、製作側と揉めるのも予算やスケジュールを顧みない個性的な監督方法ゆえであった。その結果、編集段階で会社側に仕切られることも多く、満足のいく作品にできなかった「ゲッタウェイ」や、編集を会社に委ねた「コンボイ」がヒット作となったのは皮肉であった。

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2015年10月下旬号

映画監督を見ろ!:アルトマン「顔」、ペキンパーの「首」

1995年1月上旬新年特別号

特別企画 没後10年-映画作家サム・ペキンパー:サム・ペキンパー、裏切りの王者

特別企画 没後10年-映画作家サム・ペキンパー:ペキンパーの仲間たち

特別企画 没後10年-映画作家サム・ペキンパー:フィルモグラフィ

1992年4月上旬春の特別号

ルポ サム・ペキンパー監督全作品 ビデオ・リリース:

1985年2月下旬決算特別号

追悼 サム・ペキンパー監督:

追悼 サム・ペキンパー監督:フィルモグラフィー

1984年6月上旬号

特集 バイオレント・サタデー サム・ペキンパー監督作品:ペキンパーの足跡

1978年3月上旬号

小野耕世のオモチャ箱:インベーダーとなったサム・ペキンパー

1975年5月上旬号

特集 「ガルシアの首」:分析採録

1975年2月上旬号

プロフェッショナル:特別版 サム・ペキンパー

1974年6月上旬号

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1973年9月下旬号

グラビア:サム・ペキンパー 「ビリーザ・キッド21才の生涯」

1973年2月下旬号

特別ディスカッション サム・ペキンパーが「ゲッタウェイ」でイメージした新しい暴力:今野雄二×川本三郎×片岡義男×石上三登志×白井佳夫

シネ・ブラボー:第45回 『ゲッタウェイ』-サム・ペキンパーの“ある愛の詩”

1972年9月上旬号

キネ旬ニュー・ウェーブ:サム・ペキンパーと西部劇の終焉

1972年5月下旬号

特集論文 :「わらの犬」サム・ペキンパーのヒーロー不在の時代のヒーロー論

シナリオ:わらの犬

1971年10月上旬秋の特別号

特別グラビア:サム・ペキンパーの新作 「ジュニア・ボンナー」

1971年7月上旬夏の特別号

特別グラビア:サム・ペキンパーの新作 「わらの犬」

フィルモグラフィー