田中要次
|Yoji Tanaka| (出演/監督/脚本/撮影/出演(声))
基本情報▼ もっと見る▲ 閉じる
本名 |
- |
出身地 |
長野県木曽郡木曽福島町(現・木曽町) |
生年月日 |
1963/08/08 |
没年月日 |
- |
略歴▼ もっと見る▲ 閉じる
長野県木曽郡木曽福島町(現・木曽町)の生まれ。長野県木曽山林高校卒業後の1982年、当時の国鉄長野鉄道管理局に就職。87年の国鉄分割民営化によりJR東海に変わった頃から映画館通いに没頭し、自主上映会などにも顔を出し、さまざまな映画関係者と親交を結ぶ。山川直人監督が手がけたミュージックビデオなどに出演したのち、90年12月に8年間勤務した鉄道マン生活にピリオドを打って上京。照明技師の安河内央之に師事し、竹中直人監督「無能の人」91に照明助手として参加した際、竹中に気に入られエキストラとして出演も果たす。その後も阪本順治監督「王手」91、橋口亮輔監督「二十才の微熱」93など多数に、照明助手だけでなくさまざまな役職でスタッフとして関わりながら、岩松了監督「お墓と離婚」93、廣木隆一監督「800/TWO LAP RUNNERS」94などにエキストラや端役で出演。94年の竹中監督「119」を最後に俳優業に専念し、竹中、阪本、廣木らスタッフ時代をよく知る監督たちや、矢口史靖、SABU、篠原哲雄、石井克人、三池崇史など、さまざまな監督から重用されるようになる。90年代終盤からテレビドラマにもたびたび登場し、2001年のフジテレビ『HERO』にレギュラー出演したことで大きな転機を迎える。主演の木村拓哉ら東京地検城西支部の面々が行きつけのバーのバーテンダー役で、アルコール以外にも頼まれたものは何でも「あるよ」とだけ言って差し出す特異なキャラクターが評判を呼んだ。その後も、個性的な顔立ちと恵まれた体格を活かし、ワンポイントの出番だけでも強烈なインパクトを与える個性派の脇役として活躍。“BoBA”のニックネームでスタッフからも愛され、膨大な量の映画、ドラマに出演を重ねている。
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