スパイク・ジョーンズ

|Spike Jonze| (製作/監督/出演/脚本/プロデューサー)

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本名 アダム・スピーゲル
出身地 メリーランド州ロックヴィル
生年月日 1969/10/22
没年月日

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【ミュージックビデオ出身の新世代アメリカ映画の寵児】アメリカ、メリーランド州ロックヴィルの生まれ。本名アダム・スピーゲル。高校卒業後にロサンゼルスへ移り、スケボーの写真・ビデオの撮影を始める。ソニック・ユースのビデオクリップ『100%』に出演したことから、同クリップを監督した映像作家のタマラ・デイヴィス(ビースティー・ボーイズのフロントマン、マイク・Dの妻)より映像の基礎を学んだ。その親交からビースティー・ボーイズの主宰するレコード・レーベル“グランド・ロイアル”で仕事をするようになり、70年代の刑事ドラマ『スタスキー&ハッチ』をパロディ化したビースティー・ボーイズのミュージックビデオ『サボタージュ』(94)で注目を浴びる。翌1995年の『Buddy Holly』でMTVアワードのベスト・ディレクター賞を受賞。並行してコマーシャル業界へも進出し、ナイキのCM『Guerrilla Tennis』で95年のカンヌ国際広告映画祭でパルムドールを受賞するなど、映像作家として不動の地位を確立する。99年、初監督作「マルコヴィッチの穴」を発表。脚本を手がけたチャーリー・カウフマンとともにアカデミー監督賞、オリジナル脚本賞にノミネートされ華々しいデビューを飾る。2002年にはカウフマンと再び組んで第2作「アダプテーション」を監督。俳優として活動していた時期もあり、デイヴィッド・フィンチャー監督「ゲーム」(97)やデイヴィッド・O・ラッセル監督「スリー・キングス」(99)に出演している。近年では製作側に回ることも多く、自身と同じミュージックビデオ出身のミシェル・ゴンドリーや盟友カウフマンの監督デビュー作のプロデュースのほか、大ヒットテレビ番組『ジャッカス』とその映画版も手がける。映画監督のソフィア・コッポラと結婚していた時期があり、デビューが相前後した90年代後半から2000年代にかけては、夫婦揃って新世代アメリカ映画界の寵児として一世を風靡した。【映画では手作り感を強調】大学の映画学科や映画学校で学んだ経験はなく、スケボー雑誌のライター、写真家、ミュージックビデオ出演を経て映像制作を身につけた現場主義の異業種監督。少年時代に影響を受けたストリートの若者文化、B級映画、70年代の人気テレビ番組やCMなどポップカルチャーの引用に始まり独自の演出法へと発展させ、20代前半よりMTV界気鋭の監督として高く評価される。一方、映画ではむしろオーソドックスな演出を好み、CGやデジタル処理は極力使わない手作り感を強調する。虚構と現実が交錯する浮遊感ある画作りも特徴で、それらの傾向は「かいじゅうたちのいるところ」(09)で際立って見られる。ミュージックビデオやCM監督としての華々しい業績から“映像優先主義者”というイメージを抱かれがちだが、チャーリー・カウフマンの奇抜な脚本を、破綻させず完成に導いたストーリーテリングの力こそ評価すべきという声も多い。

キネマ旬報の記事▼ もっと見る▲ 閉じる

2014年7月上旬号

「her/世界でひとつの彼女」:スパイク・ジョーンズの身体観

「her/世界でひとつの彼女」:S・ジョーンズが語る彼/彼女のこと

「her/世界でひとつの彼女」:S・ジョーンズの唐突な変身

2010年1月下旬号

「かいじゅうたちのいるところ」:スパイク・ジョーンズ監督インタビュー

HOT SHOTS:スパイク・ジョーンズ監督&マックス・レコーズ来日会見「かいじゅうたちのいるところ」

2000年9月下旬号

作品特集 マルコヴィッチの穴:スパイク・ジョーンズ インタビュー

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