マイケル・ムーア
|Michael Moore| (監督/脚本/製作/出演/プロデューサー)
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本名 |
- |
出身地 |
ミシガン州フリント |
生年月日 |
1954/04/23 |
没年月日 |
- |
略歴▼ もっと見る▲ 閉じる
【突撃取材で米国を斬るドキュメンタリー映画界の反逆児】アメリカ、ミシガン州フリントの生まれ。ミシガン大学を中退後、自ら創刊した地方紙でジャーナリストとしての活動をスタートする。1989年、GMの生産拠点である故郷の工場閉鎖に伴う大量解雇を取材した「ロジャー&ミー」で監督デビュー。GM経営者への突撃取材が批評家の絶賛を得る。その後はテレビ界へも活躍の場を広げ、突撃取材などを用いたユニークなドキュメント番組を製作する。95年には初の劇映画「ジョン・キャンディの大進撃」を監督。アメリカが隣国カナダを仮想敵国に仕立てるブラック・コメディだった。2000年のアメリカ大統領選では緑の党を支援、民主党の票を喰ってしまい、ブッシュ勝利に貢献してしまう皮肉な結果を生んだ。実際に起きた高校生銃乱射事件を軸に、アメリカ銃社会を鋭くえぐった「ボウリング・フォー・コロンバイン」(02)はアカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞。授賞式での反ブッシュ発言は賛否両論を巻き起こした。04年には、ブッシュ大統領を激しく糾弾した「華氏911」がカンヌ映画祭パルムドールを受賞し、ドキュメンタリーとしては異例の大ヒットを記録。一躍ヒットメーカーとなったムーアは、その後も一貫してアメリカ社会が抱えるあらゆる矛盾や不正に対してメスを入れ続け、09年にその集大成となる新作「キャピタリズム/マネーは踊る」を発表する。その公開時には「本作をもってドキメンタリー製作に一区切りをつける」とも発言している。【“ヒットするドキュメンタリー”の確立】1920年代、ロバート・フラハティによって確立されたドキュメンタリー映画は、以後、国策プロパガンダや思想運動、社会問題や特定個人の追認、音楽・スポーツイベントの記録に自然観察など多様に発展してきた。しかしそれらの多くは商業性とかけ離れ、“意義はあっても退屈で地味な分野”という印象から逃れ難い。そんな中、ムーアは被写体に積極的に関わるシネマヴェリテやダイレクトシネマの手法を拡張し、エンタテインメントとしてのドキュメンタリーを確立。突撃取材や派手なパフォーマンス、時に意図的な“やらせ”を含むテレビショー的演出を持ち込み、“現場”を写実的に“記録”していた従来のドキュメンタリーの常識を覆した。ムーアの作品では常に自身がガイド役をつとめ、主観的に進行・主張することで観客の共感(あるいは反感)を得る。重いテーマもシニカルな笑いの素材となって小難しい印象は払拭され、一般に広く受け入れられつつ、ドキュメンタリーとしては異例の世界的ヒットを生んだ。時にそのパフォーマンスは批判され、数々の妨害にもみまわれるが、賛否いずれにせよ、まずは人々の興味を喚起することに成功している。こうした活動で主義主張型のドキュメンタリーを商業映画に成長させた功績は大きい。
キネマ旬報の記事▼ もっと見る▲ 閉じる
2018年11月下旬号 |
「華氏119」:インタビュー マイケル・ムーア[監督]
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2009年12月下旬号 |
ドキュメンタリー、ドキュメンタリー作家の多様性:マイケル・ムーア監督インタビュー「キャピタリズム~マネーは踊る~」
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2007年9月上旬号 |
作品特集 「シッコ」:マイケル・ムーア[監督] インタビュー
作品特集 「シッコ」:マイケル・ムーアの映画を振り返る
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2004年9月下旬号 |
特別企画ドキュメンタリーという主張「華氏911」と「フォッグ・オブ・ウォー」:マイケル・ムーア監督 インタビュー
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2004年2月下旬決算特別号 |
特別カラー・グラビア 個人賞受賞者インタビュー:外国映画監督賞 マイケル・ムーア
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