ブライアン・デ・パルマ

|Brian De Palma| (監督/脚本/原作/製作)

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本名
出身地 アメリカ、ニュージャージー州
生年月日 1940年9月11日
没年月日

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【メジャー大作も手がけるサスペンス・スリラーの鬼才】アメリカ、ニュージャージー州の整形外科医の家に生まれる。大学在学中、ヒッチコックの「めまい」を見て映画の世界を志し、短編作品で得た奨学金を基に大学修士課程で映画を専攻、自主制作に乗り出した。ニューヨークを拠点として撮った数本のうち、68年の青春映画「ブルーマンハッタンⅡ・黄昏のニューヨーク」はベルリン映画祭で銀熊賞を受賞。70年にハリウッドに招かれ、監督途中解任の失敗を経たものの、怪奇スリラーの「悪魔のシスター」がスマッシュヒット、さらに「キャリー」の大ヒットとともに、ジャンル映画ファン層の強い支持を獲得した。80年代に入って以後もヒッチコックを意識したサイコ・スリラー「殺しのドレス」や、ギャング映画「スカーフェイス」等のジャンル映画を連続して手がけ、トップスターを配した大作「アンタッチャブル」が大ヒットすると、広範な観客を楽しませるメジャー監督としての評価も固めた。その後もハリウッド大作をコンスタントに手がける中で従来のジャンル映画志向も貫き、スパイ・アクションの「ミッション: インポッシブル」やサスペンスの「スネーク・アイズ」を成功に導く。07年の「リダクテッド・真実の価値」は中規模の意欲的な社会派戦争映画で、ヴェネチア映画祭監督賞に輝いた。【趣味的なビジュアリスト】最初期の出自ではジョン・カサヴェテスのあとを追うニューヨーク派に属するが、ハリウッド入りしてからのジャンル映画志向や先達へのオマージュ趣味は、少し後のルーカス=スピルバーグの系統に肩を並べる。特にヒッチコックへの傾倒ぶりは著しく、「悪魔のシスター」以降の“ヒッチコック的”作品群には模倣・亜流の批判も多かった。しかしながら、流麗なキャメラワーク、緊張を孕んだスローモーション、パンフォーカスやスプリット・スクリーンといった映像技巧は観客を魅了し、「ファントム・オブ・パラダイス」や「ミッドナイトクロス」などのマイナー作品も熱狂的なファンを持つ。その積み重ねが“デ・パルマ・タッチ”と称されるに至り、異能監督としての評価も定着した。「アンタッチャブル」以後は映像技巧を一般的な語り口に融和させつつ、古典へのオマージュを滑り込ませる。古典の現代的再生という一貫した嗜好も含め、ハリウッドにおける趣味性あらわなポジションには今も毀誉褒貶が絶えない。

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2013年9月下旬号

【巻頭特集】2013年秋冬目玉作、総ざらい お楽しみはこれからだ!!:クセモノたちの現在 ブライアン・デ・パルマ「パッション」、マルコ・ベロッキオ「眠れる美女」、ジャック・ドワイヨン「ラブバトル」

2008年11月上旬号

特集 「リダクテッド 真実の価値」:映像派監督ブライアン・デ・パルマの挑戦

2006年10月下旬号

特別企画 「ブラック・ダリア」とブライアン・デ・パルマ:ブライアン・デ・パルマ作家論

特別企画 「ブラック・ダリア」とブライアン・デ・パルマ:ブライアン・デ・パルマ監督 インタビュー

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2003年9月上旬特別号

特集 「ファム・ファタール」:ブライアン・デ・パルマ監督 インタビュー

2000年6月上旬号

作品特集 ミッション・トゥ・マーズ:監督論

1999年3月下旬号

特集 スネーク・アイズ:ブライアン・デ・パルマ監督 インタビュー

1996年7月下旬号

特集 ミッション・インポッシブル:ブライアン・デ・パルマ

1990年2月上旬号

特集 カジュアリティーズ:監督論

1987年11月下旬号

巻頭スペシャル・インタビュー 東京国際映画祭に来た映画人22人:ブライアン・デ・パルマ

1984年4月下旬号

特集 スカーフェイス ブライアン・デ・パーマ監督作品:監督インタビュー・他

1982年2月上旬号

特集 「ミッドナイトクロス」:ブライアン・デ・パーマ人と作品

1979年1月下旬正月特別号

ニュー・ウェーブ:〈血の作家〉ブライアン・デ・パルマ

1978年9月上旬号

特集 「フューリー」:2 ブライアン・デ・パルマ 自作を語る

1958年10月上旬40年記念号

日本映画批評:旗本退屈男

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