チェン・カイコー
|Chen Kaige| (監督/脚本/製作/原作)
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本名 |
- |
出身地 |
中国、北京 |
生年月日 |
1952年8月12日 |
没年月日 |
- |
略歴▼ もっと見る▲ 閉じる
【「さらば、わが愛/覇王別姫」でアジア映画を世界に知らしめる】中国、北京生まれ。著名な映画監督チェン・ホアイアイを父に持ち、幼い頃から文学に興味を抱いて育つ。文化大革命の時は紅衛兵として造反運動に加わり、16歳で雲南省のゴム園に下牧。約12年間、農民、軍人、労働者として青春時代を過ごす。1978年、父親の反対を押し切って北京電影学院の監督科に入学。この時、同科にはティエン・チュアンチュアン、撮影科にはチャン・イーモウがいた。校内には文革の後の外国文化を求める知的欲求があふれ、この時期に海外の名作・傑作映画に触れて刺激を受けた他、テレビドラマの現場も経験する。同院を卒業後、北京映画製作所に配属。2本の助監督を経て地方の製作所である広西の映画製作所に志願し、そこでカメラマンとなったチャン・イーモウと再会。84年、監督処女作「黄色い大地」がロカルノ国際映画祭で銀賞を受賞。中国第五世代の旗手として、世界的に注目を浴びる。続いて天安門広場での閲兵式とその過酷な行進訓練を描いた2作目「大閲兵」(85) で、モントリオール国際映画祭審査員特別賞を獲得。さらに文革体験を下敷きにした「子供たちの王様」(87) と、旺盛に作品を発表する。その後ニューヨークへ3年間遊学して見聞を広め、帰国後の91年、海外資本(日、独、仏、英)で幻想的な歴史劇「人生は琴の弦のように」を監督。チャン・イーモウと並ぶ中国映画界の旗手となる。【「さらば、わが愛~」以降は大作路線へ】名声が決定的になったのは、93年の「さらば、わが愛/覇王別姫」。近代中国の半世紀を京劇役者の姿を通して描いたこの作品は、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞。日本でも公開前から大きな話題となり、アジア映画としては空前の大ヒットを記録し、チェン・カイコーの名を一般的に浸透させた。以降は、前作の2倍の製作費をかけた「花の影」(96)、日本・フランス・米国から出資を受けた総製作費60億円の「始皇帝暗殺」(98)、ハリウッド進出作「キリング・ミー・ソフトリー」(01)、日本から真田広之、韓国からチャン・ドンゴンを招いた「PROMISE プロミス」(05)など大作路線へと変化する。2008年には、「さらば、わが愛/覇王別姫」以来となる京劇を扱った作品「花の生涯~梅蘭芳~」を発表するが、いずれも代表作「さらば、わが愛~」を超える評価は得られていない。一方で、ミニマムな規模に立ち戻った「北京ヴァイオリン」(02)は、サン・セバスチャン国際映画祭で最優秀監督賞と主演男優賞を受賞した他、テレビドラマ化もされて人気を呼んだ。
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