スティーヴン・スピルバーグ

|Steven Spielberg| (製作/監督/原作/脚本/製作総指揮)

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本名
出身地 アメリカ、オハイオ州
生年月日 1946年12月18日
没年月日

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【孤独な映画少年から世界のヒットメイカーに】アメリカ、オハイオ州出身。コンピューター技師の父親とコンサート・ピアニストの母親を持つ4人兄妹の長男で、父の仕事の関係で引越しを繰り返す孤独な少年時代を送る。父からもらった8ミリカメラに熱中し、12歳から短編映画を作り始め、14歳で戦争映画を撮影、18歳で自主映画を町の映画館で有料公開するなど、映画ひと筋の青春を過ごす。高校卒業後は南カリフォルニア大学(USC)を目指すも成績不良で叶わず、カリフォルニア州立大学ロング・ビーチ校に入学。その頃からユニヴァーサルの撮影所に出入りして刺激を受け、68年に自主製作の35ミリ映画“Amblin”を完成。これが認められ、ユニヴァーサルと契約を結び、プロの監督となる。1971年、テレビ映画用に作った「激突!」が高評価を受け、「続・激突!/カージャック」(74)で劇場映画デビュー。翌年の「JAWS/ジョーズ」がアメリカ映画史上最大のヒット作となり、一躍トップ監督の仲間入りに。以後、世界的なヒットメイカーとして現在にいたる。「未知との遭遇」(77)、「E.T.」(82) など無垢な少年心に充ちたSF映画から、冒険活劇「インディ・ジョーンズ」シリーズなど、娯楽映画路線が多かったが、93年、ナチスによるユダヤ人大量虐殺をテーマにした「シンドラーのリスト」を発表。ユダヤ系のスピルバーグにとって自身のルーツを辿る個人的な映画であり、アカデミー賞作品賞と監督賞を初受賞。以後、「プライベート・ライアン」(98)、「ミュンヘン」(05)といった重厚な人間ドラマを周期的に発表するようになる。【作家性を重視した環境作りに尽力】94年にスピルバーグは、元ディズニーの製作部門トップのジェフリー・カッツェンバーグ、レコード会社経営者デイヴィッド・ゲフィンと製作会社ドリームワークスを設立。作家性を重視した映画製作や、テレビ界出身監督の育成、日本アニメやゲームのハリウッドへの橋渡し役など、プロデューサーとしても辣腕をふるう。また82年以降、自作のほとんどは自身の会社アンブリンで製作しており、自分の映画を完全に掌握できる環境をもつ稀有な監督の一人である。映画表現における比類なき革新性(「ジュラシック・パーク」)、残虐性(「プライベート・ライアン」)、童心性(「E.T.」)から、70年代以降の映画ファンに与えた影響力は絶大である。

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