大和田伸也
|Shinya Owada| (出演/脚本/監督)
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本名 |
- |
出身地 |
福井県敦賀市曙町 |
生年月日 |
1947年10月25日 |
没年月日 |
- |
略歴▼ もっと見る▲ 閉じる
福井県敦賀市の生まれ。5歳下の弟は俳優の大和田獏。早稲田大学第一文学部在学中に学生劇団“自由舞台”で演劇活動を始め、1968年、劇団四季に入団。翌69年の『白痴』で初舞台を踏む。70年のNHK大河ドラマ『樅の木は残った』でテレビドラマ初出演を果たし、大学中退後の72年、戦中戦後を生き抜いた女性の半生を描いたNHK連続テレビ小説『藍より青く』でヒロインの夫・周一役に抜擢され、爽やかな演技で人気を集める。山田太一が脚本を手がけたこのドラマは73年に森﨑東監督で映画化され、そちらにも同じ役で出演して映画デビューを飾った。77年の伊藤俊也監督「犬神の悪霊(たたり)」で初主演、山村で奇怪な現象に見舞われる鉱山技師を熱演した。以後も、西河克己監督「霧の旗」77、舛田利雄監督「大日本帝国」82などに助演。その間の78年、TBSの人気時代劇『水戸黄門』の第9部から二代目・格さん役に起用され、82年の第13部を最後に伊吹吾郎と交代するまで、東野英治郎の“黄門”、里見浩太朗の“助さん”とともにシリーズを盛り上げた。83年、謝晋監督の「炎の女・秋瑾」で日本人俳優としては初めて中国映画に出演。89年の丁蔭楠監督「孫文」では実在の革命家・宮崎滔天を演じた。映画出演はコンスタントに続くが、活動の中心はテレビドラマと舞台で、NHK大河ドラマ『おんな太閤記』81、『独眼竜正宗』87、『信長』92、『八代将軍吉宗』95、『葵・徳川三代』00、TBS『キッズ・ウォー/ざけんなよ』00~02、『パパとムスメの7日間』07、フジテレビ『真珠夫人』02などで名脇役の貫録を見せつける。舞台も『細雪』『王女メディア』『アニー』など多数。『ハムレットを撃て!』ほかで演出も手がけている。80年、『水戸黄門』での共演がきっかけで女優の五代路子と結婚。長男・悠太、次男・健介はともに俳優の道に進み、弟・獏の妻が岡江久美子、姪の美帆も女優という芸能一家“大和田ファミリー”である。
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