佐野史郎
|Shiro Sano| (出演/監督/原作/出演(声))
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本名 |
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出身地 |
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生年月日 |
1955/03/04 |
没年月日 |
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略歴▼ もっと見る▲ 閉じる
医師である父親の仕事の関係で山梨県山梨市で生まれ、生後まもなくからは東京都で暮らし、7歳の時に郷里の島根県松江市に移り、高校までを過ごした。1974年、県立松江南高校を卒業後、上京して美学校で絵画を学ぶと同時に芝居を始め、翌75年にシェイクスピア・シアター創立に参加、初舞台を踏む。この頃、現在も俳優として活躍する嶋田久作と知り合った。79年に退団し、唐十郎主宰の状況劇場に入団。『あるタップダンサーの物語』などに出演して5年間活躍するが、84年に退団して音楽活動に専念する。この時期、遠藤賢司のバックギターとして、あがた森魚とのジョイントコンサートに参加したところ、あがたのスタッフとして働いていた林海象と出会う。これがきっかけとなり、林の監督デビュー作「夢みるように眠りたい」86で主人公の探偵・魚塚甚役に抜擢された。ここから再び俳優業に復帰し、翌87年のNHK大河ドラマ『独眼竜正宗』87の後藤孫兵衛役でテレビドラマ初出演。実相寺昭雄監督「帝都物語」88、黒木和雄監督「TOMORROW/明日」88、北野武監督「その男、凶暴につき」89などの映画で着実に知名度を上げていき、再起のきっかけとなった林監督とは、以降も「二十世紀少年読本」89、「ZIPANG」90、「我が人生最悪の時」94、「罠」96、「THE CODE/暗号」09など、常連俳優としてコンビを組む。92年、TBS『ずっとあなたが好きだった』で東大卒のマザコン夫・桂田冬彦役を演じ、野際陽子演じる母親とともに偏執狂的に新妻を追い詰めていく強烈な演技で、“冬彦さんブーム”と呼ばれる社会現象を巻き起こす。ここで築き上げたサイコパス的演技は、続編の『誰にも言えない』93、フジテレビ『沙粧妙子最後の事件』95などのドラマや、池田敏春監督のサイコミステリー「ちぎれた愛の殺人」93などにも活かされ、そのイメージに固まってしまうかとも思われたが、日本映画プロフェッショナル大賞の主演男優賞を受賞した池田監督「くれないものがたり」92の盲目の香道の名人役や、金子修介監督「毎日が夏休み」94の、突然退職して娘と一緒に新たな生活を切り開いてゆくエリート会社員・西園寺成雪役などで新境地を開いた。篠田正浩監督「写楽」95では浮世絵師の喜多川歌麿を個性的な演技で表現。イメージを固定化させることなく多彩な役柄を軽やかに演じ分けることで、時代を代表する俳優のひとりとして評価を獲得していった。それらと並行して、テレビドラマでもTBS『私の運命』94、『その気になるまで』96、『青い鳥』97、『good news』99、日本テレビ『ガラスの靴』97、『凍りつく夏』98、『君といた未来のために』99など多数で活躍。確固たる地位を築いた2000年以降も役の大小、ジャンルを問わず、映画・ドラマに出演を重ね、その作品歴は膨大なものとなっている。99年には「カラオケ」で初監督にも挑み、劇作家の竹内銃一郎と組んだ演劇ユニット“JIS企画”や、ロックバンドを組んでの音楽活動などマルチな才能を発揮して、非凡な存在であり続ける。05年、ロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督が終戦をめぐる昭和天皇の姿を描いた「太陽」に出演。三池崇史監督「妖怪大戦争」05、若松孝二監督「実録・連合赤軍/あさま山荘への道程(みち)」08、堤幸彦監督「はやぶさ/HAYABUSA」11など個性的な監督たちにも好んで起用され、出世作となった『ずっとあなたが好きだった』の脚本を手がけた君塚良一の監督作品には、「MAKOTO」「容疑者・室井慎次」05、「誰も守ってくれない」09と連続出演している。テレビドラマはほかに、日本テレビ『共犯者』03、『喰いタン』06・07、『正義の味方』08、『アイシテル・海容』09、『デカワンコ』11、フジテレビ『ウォーターボーイズ2』04、NHK『ひとがた流し』07、『咲くやこの花』10、『フェイク・京都美術事件絵巻』11、TBS『官僚たちの夏』09、テレビ朝日『遺留捜査』11など多数。妻は状況劇場の元女優・石川真希で、夫婦揃ってのCM出演やバンド活動を一緒に行なっていた時期もある。
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