ジョン・スタージェス
|John Sturges| (監督/製作/脚本)
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本名 |
- |
出身地 |
アメリカ、イリノイ州オーク・パーク |
生年月日 |
1911年1月3日 |
没年月日 |
1992年8月18日 |
略歴▼ もっと見る▲ 閉じる
【ダイナミックなアクション映画の巨匠】アメリカ、イリノイ州オーク・パーク生まれ。マリン・ジュニア・カレッジ卒業後、1932年RKOのブループリント部に入る。美術部、編集部を経てプロデューサー助手となり、デイヴィッド・O・セルズニックのアシスタントを務めたこともあった。第二次世界大戦中は、米軍通信隊から空軍に移って大尉となり、短編ドキュメンタリー45本を製作する。戦後46年、コロンビアと契約して“The Man Who Dared”で監督デビュー。しばらく作品は発表するが目立ったものはなく、50年MGMに転じ、53年、西部劇「ブラボー砦の脱出」で日本初登場。54年「日本人の勲章」は、西部にある小さな町を舞台に、命の恩人の日本人の父親を尋ねて旅人がやって来ることから起きるサスペンスを描く。次いでワイアット・アープとクラントン一家との戦いを描いた「OK牧場の決斗」(57)。バート・ランカスター、カーク・ダグラスなど大スターをそろえてのダイナミックな映像が評判を集め、一躍、トップ監督に名乗りをあげる。【アクション映画の金字塔「大脱走」】58年にはヘミングウェイ原作の「老人と海」を撮る。キューバのとある村の老人と巨大なマーリン(カジキ)との3日間にわたる1対1の死闘を描いた意欲作で、映画化は不可能という原作をダイナミックに映像化した。次いで西部劇が「ゴーストタウンの決闘」「ガンヒルの決斗」(58)と続き、「OK 牧場の決斗」を含めた決闘三部作の路線は「荒野の七人」(60)につながる。これは黒澤明の「七人の侍」の翻案映画化で、時代劇を西部劇に置き換え、志村喬が演じたリーダーをユル・ブリンナーが演じるほか、彼以外の6人のキャラクターも微妙に似ている。それ以上に、西部劇として徹底的なアクションが痛快な作品である。フランク・シナトラ一家総出演の西部劇コメディ「荒野の3軍曹」(62) の後に、大作「大脱走」(63)を撮る。第二次大戦中のドイツ捕虜収容所を舞台に、何度も脱走を企てる捕虜たちを描く。スターたちの大量出演、ミッチー・ミラーのテーマ曲のヒット、そして何よりもスタージェスのサービス満点の演出が素晴しく大ヒットした。以降も娯楽作を撮り続け、67年の「墓石と決闘」では、再度“OK牧場の決闘”に挑み、今度はその後、生き残った人間たちを追った後日譚で、スタージェス入魂の作品と言えよう。ジョン・ウェイン晩年のアクション「マックQ」(74)、そしてナチスのチャーチル暗殺計画を描いた「鷲は舞いおりた」(77)を最後に、スクリーンから離れた。
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