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早く振り向いて! 清原果耶がまっすぐこちらを向いたときから、映画はまったく別の貌をして輝き始めるよう。「蚊を殺す」なんていうアクションで、時の流れが変わる予感が甘美によぎるのはきっと彼女だから。生の時間と死の時間を自在に操る映画という場所を独り占めしてゆったりと逍遙するシーンが白眉。それにしても焦がれ、待ち続けた恋人は、人形のようにいつも眠っていたほうがよいものか。<案内人>と<放浪者>を体現する、荒川良々と加藤雅也も安心の存在感、チャーミングで素敵!
可愛い二人のデートシーンで現れるキリンに「ハチミツとクローバー」をふと思い出す。「恐竜とかってもし目の前にいたらこんなだったのかな」。太古の昔に遙か彼方の宇宙と、巨大なイメージを夢想し、包まれつつも、じんわりと息苦しくなった小さな世界で「幻」を中心にぐるぐる回る若い心。現実ならば続いていく時間を切断し、まだ青春の場でさまようことを許すのは映画の優しさか。「プラスチック」の乾いた響きと、散りばめられたまだ悩み知らずの色彩が、カラッとした余韻を残す。
ティッシュの代わりに使うトイレットペーパーのリアルさが妙にこびりつく。荒療治みたいなヒッチハイク(自主的に臨んだわけではなく、ある意味捨てられたような、と言っても大間違いではない)はちょっと気の毒に思えてしまうのだが、親切心をもノイズと思っていそうな陽子(菊地凛子)の表情に釘付け。向こう側に見えない他人が溢れかえる、我々も見慣れた小さなパソコンの画面から変わりゆく北への景色は、身の皮を剝がすかのように寒々しくも厳かで、孤独な女の背中をそっと押す。
家出理由の中身だけはマルチバースのごとくの主婦。見始めてすぐ、ここまで大事故大犯罪に巻き込まれることなくやってこれたのが不思議な(知らない人から、ものをもらっちゃいけません!)ふわふわお姉さんキャラに少々びっくりするも、渾身のタックルなどは我慢できずに笑ってしまう。アルコール漬けの判断力、あなたに夢中!ほどの熱さには至らない、勘違いを楽しむ気楽な恋は、誰へでもなく、既に失われたものへの片想いだったりして。彼らの隣をのっぺり流れる川が静かに物語る。
オリジナル版とは男女を入れ替え、「1秒先の彼女」でなく、「1秒先の彼」にしたことで、岡田将生のとぼけた味わいがうまく活かされているし、舞台が京都というのも魅力的だ。そのため、映画の前半はきわめて快調なのだが、後半の謎解きのパートになると失速してしまう。そもそも、動きが止まるというのは、アクションを描くことで成り立つはずの映画という表現形式には向いていないわけで、オリジナル版から受け継いだ設定ゆえに生じた難題は、残念ながら解決されないままだ。
ドキュメンタリー的な冒頭に意表を突かれつつも、青春映画なのだとうっかり納得しているうちに、時間が飛び、人物の関係性も変化し、コロナ禍のなかの世相まで描かれる。半世紀前―ザ・ストゥージズが解散したのと同じ1974年―に消息を絶った幻のミュージシャンがからんでいるという設定が効いていて、男女が別々に同じ歌を口ずさむあたりはミュージカル的でもある。ドライヤーや青山真治の映画をさりげなく引用しつつ、静寂を切り裂くエレキギターのように鳴り響く快作。
誰もが楽しめる映画ではないので、「必見」と言うつもりはない。そもそも設定に無理があるという見方もあるだろうし、菊地凛子の熱演にむしろ辟易する観客もいるかもしれない。しかし、もう若くはない引きこもりという、どうにもロード・ムーヴィー向きではない女がヒッチハイクをするはめになり、彼女の移動とともにエピソードがバトンタッチのように受け継がれ、次々と風景が流れていき、彼女のなかから少しずつ言葉が生まれてくる過程を見つめることができるのは、ひとつの至福だ。
女性のほうがかなり年上とはいえ、失意の男女がたまたま出会うボーイ・ミーツ・ガールであり、ロマンチック・コメディ的な物語を期待させる。そしてほぼ予想どおりの展開なのだが、終わってみると、いまおかしんじならではのツイストが効いていたと気づくことになる。大向こうを唸らせようとするような映画ではないが、だからこそ、川べりの町という設定をもっと生かすとか、重要な要素となるネギなどの細部にこだわったりすると、それこそ愛すべき小品になったかもしれない。
普通に一本の映画として見て幸福な気分になれる娯楽作だが、原作からの変更の工夫を見比べるとより味わい深い最上のリメイク。男女逆転で原作にあった微妙な弱点をクリア。さらに主演二人(子役も)がこれ以上ない適役。なぜあれが起きたのかの説明も、京都を舞台にしたことと相まって絶妙。原作自体そうなのだが羅生門形式、その使い方が卑怯極まりない「怪物」は本作を見て慙愧するだろう。この二作、公開が一カ月しか違わないのはただの偶然だが、偶然という名の歴史の残酷を感じる。
時間錯誤の物語。七十年代に解散したバンドの音を、今聞き届けてしまったために出会った高校生二人が、別れ、また出会い直す。冒頭で言及される、宇宙に向けて発せられ、二万年かけて目的地に届く通信もそうだが、メッセージの宛先は不確定だ。誤配も受け取り損ねもメッセージの本質であり、そのことは同じバンドに遅ればせにイかれた同級生が示している。それも含めて何なら群像劇にしてほしかったが望蜀だろうか。コロナ下の廃墟めいた時間の生々しいドキュメントとしても見れた。
コミュ症の人がいきなり一人で外界に放り出されたらどういう感覚なのか、当人の視点から描かなければ意味がない。彼女にとっての現実の肌触りまで感じさせての映画ではないか。父の幻影程度で彼女の内面を描いた気になっては困る。コミュ症だけどさまざまな人に出会って現実に向き合えてハッピーなんて、コミュ症に寄り添っているようで実は健常者の視点であり、コミュ症なんて所詮逃避、強引に現実に直面させればいい、にいつでもひっくり返りそうだ。その意味ではむしろ酷薄な映画。
ヒロインのブリっ子が最初は鼻につくが慣れるとその臭みがむしろ良い、と思えてくるわけでもなく、それは最後までキツいのだが、男の元カノになりすましてのライン交換で、それぞれが幻想の相手とカタオモイ、男と女のことだから、それがなし崩し的に本物になってゆくだらしなさも、それが年の差なのでちょっとイタい感じも、あれ、この二人ほんとにヤっちゃうのか、とこっちが狼狽えてしまう感じも、決して悪くはなく、しかしすべてが成立するのはあの女優の肉体ゆえだと最後に気づく。