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DCとマーベルの区別も碌についてないので正直観るのが不安だったが、まったく問題ありませんでした。キャラは登場するごとにいちいちプロフが説明されるし、これまでのあらすじ的な前提もそつなく教えてくれる。よくわからないところも多少は残るが、ほとんど気にならない。後半、気合い入りまくりの視覚効果と怒濤のアクションで押しまくるが、最終的な落とし所として、まあ口実のようなものだとはいえ、家族と男女の純愛讃歌みたいになってしまうのはどうなんだろう。仕方ないのか。
こういう作品って一種のファンタジーだと思うんですよ。つまりリアリズムではないということ。ここに描かれた少年たちは、現在にも過去にも、どこにも存在はしていない。ただ監督ミシェル・ゴンドリーの脳内世界にだけ棲んでいる。そしてそれが一概に悪いわけではもちろんない。そりゃフィクションだもの、ということではなくて、たとえ一見そう思えたとしても、実のところは現実の淀みや歪みを濾過された「理想の未熟さ」なのだ。それさえ認めてしまえば、とても良く出来ている。
奇しくもパトリシオ・グスマン監督「チリの闘い」と同時期に日本公開されることになった、1973年9月11日の軍事クーデター後のチリを舞台とするサスペンス。監督はドイツ人。元ナチスのパウル・シェーファーがチリに設立した実在の宗教組織コロニア・ディグニダ(=尊厳のコロニー)の施設に幽閉された恋人を救出するべく潜入したエマ・ワトソンのけなげな勇気が麗しいが、その他は何もかもグロテスク。作品の焦点は、コロニア・ディグニダとシェーファーの異常性の再現にある。
この上なくシンプルな物語で、それゆえ多様な読解が可能なように造られている。鶴の恩返しならぬ亀の恩返しとでもいうべき話だが、主人公は恩返しされるようなことは何もしていない。むしろその反対なのに、何故だか亀はどこまでも彼に優しい。この点をどう解釈するかで、この作品の根本的な理解の仕方は違ってくる。あとはやはり津波。企画開始は東日本大震災以前に遡るそうだけど、あのシーンが含意してしまうことに制作側が意識的でなかった筈はない。そこも含めて、何もかもが確信犯。
ヒロインのハーレイ・クインを演じたマーゴット・ロビーがとにかくキュート。といっても守ってあげたいお姫さまキャラではなく、ブロンドベースのカラフルなツインテールが似合う、モテを度外視した最高にクレイジーなポップアイコンだ。正直ここで何かを深く語るようなタイプの映画ではないがそれでまったく問題ない。個人的に期待していたカーラ・デルヴィーニュは運動量の少ないキャラクターに配置されていたため、劇中であまりその動的な活躍を見られなかったのが残念。
いい歳をして大人になりきれない男女の生態描写が得意ながら、よくも悪くもそこに漂うロマン色が強いミシェル・ゴンドリー。だが登場人物の精神年齢はそのままに、肉体をリアル思春期に引き下げると、これがぴったり。彼らのナイーブさや面倒くささを素直に受け入れて楽しめる。手づくりの創作自動車や動くログハウスの構想にはアナログ魂にあふれたゴンドリーらしさが炸裂。落ち武者のような出来損ないの金髪サムライカットを自らバリカンで剃り上げる少年がかっこいい。
エマ・ワトソンはほぼほぼポストナタリーポートマンの地位を確立したと思う。子役からのキャリアや学業と女優業の両立といった外的要素だけでなく、少々過度な正義感と女性特有の潔癖さをうかがわせるルックスや生き方のスタンスも通じるものが。そんなエマが本作に惹かれるのは必至で、全寮制の女子校を思わせる施設での居住空間や信仰との結びつきなどその手のフェティシズムをくすぐる効果も満載。名目は恋人の救済だが自らの正義がそれを上回る女性版ジャスティス映画だ。
宮崎駿監督の長篇引退宣言を経て、スタジオジブリが2年ぶりに放つのは、オランダ出身監督によるおとぎ話。シンプルなラインながら温かみを感じさせるタッチと色づかいの絵柄に、一切のセリフを排除して描かれる物語には、国を問わない侘び寂びのような味わいも。無人島が舞台ということで多彩な水の表現に目を奪われるが、島に生えている植物が竹というのも目を引く。竹は生命力の強い植物で完全に根を絶やさない限り繁殖を続ける。圧倒的な水の力の後に残ったその姿が頼もしい。
デイヴィッド・エアーの「トレーニング・デイ」(脚本)や「エンド・オブ・ウォッチ」など大ファンなので期待したが、およそリアリティのない極悪どもを描き分けるのは彼の才を以てしても難しいのか、個性、魅力に欠ける。紅一点ハーレイ・クインも、浮き上がり気味で惹句にある「悪カワイ」さは感じられない。一同の立ち向かう「世界の危機」なるものが判然としないし、彼らの心の拠り所が家族愛というのもいささか陳腐。大作を撮る力量は判ったから、リアルで渋い次回作を期待!
ロマンティックで芸術家肌の「チビ」と兄貴分のメカおたくの転校生「ガソリン」。世間を軽蔑しながらも世間に同調できない不安、セックスへの不安と憧れ、家族や学校の疎ましさ――二人ともトリュフォーの描いたアントワーヌ少年の末裔と言って良い。生き生きした会話が楽しい。もう一つの主役は「動く隠れ家」だ。家族や学校のしがらみを逃れ好きな所へ行けるアジール。こんな車を夢見なかった少年はいないだろう。黒こげになって谷底へ落ちる車は、幼年期との決別のようだ。
70年代のチリの軍事独裁の恐怖政治が背景になっている。殺害された市民は3万、投獄された者は数十万とも言われる。「ミッシング」「サンチャゴに雨が降る」などはこの不正義に対する怒りが正面から描かれていたが、本作はオカルト教の修道院を装う拷問施設からの脱出劇が主となり、撮影は施設内部に限られるので、現実感がなくなっている。実話とはいえ現実の政治が引きおこす恐怖をオカルトホラーにすり替える如き制作意図は首肯しがたい。D・ブリュールの熱演が痛々しい。
絶海を泳ぐ男。孤島にたどり着く。やがて女が現われ息子が出来る。幾歳月。嵐が襲う。別れが来る。科白は全くない。すべてモノクロに近い水墨画のようなタッチで描かれるので、亀の「赤」が映える。大仰な感情表現もないが、素朴で静かな感動がある。様々なアレゴリーが読みとれる。人類の誕生、アダムとイヴ、家族の誕生と別れ。短篇しか撮ったことのない監督の才能に注目、十年の歳月をかけ珠玉の作品を作りだしたスタジオ・ジブリのプロデューサー・ワークに敬服する。