伊勢、伊賀、近江三国の国境が接するところの鈴鹿山脈。その鈴鹿出脈の奥、雲林院村の一面芒々たる大枯野の中に野鍛治、宍戸梅軒の一軒家がぽつんと建っている。あたりが夕闇につつまれた頃、宮本武蔵は梅軒の一軒家を訪れた。その夜、梅軒は、八重垣流鎖鎌の妙技を見に来た武蔵と酒をくみかわしながらの昔話の中で、武蔵が関ケ原の合戦の際、浮喜多勢に加わり、タケゾウと名乗っていたことを知ると、女房お槙を通じて八人衆を呼び寄せた。武蔵が、お槙の兄辻風典馬の仇であることがわかったのだ。夜もふけて、寝こんだ武蔵の耳に、今まで停止していた空気が、急に変質していくのが聞こえた。裏口では、梅軒配下の八人衆が梅軒の合図を待ち、武蔵が蓑笠の蔭から姿を現わすや、それぞれ陣形を取り身構え、しばしの静寂が流れた。あたりに早暁の光りが差した頃、武蔵は間近にいた一人を抜き討ちにすると、地の利を求めて草原を駈け出した。武蔵のとった勢力を分散する戦術は功を奏し、梅軒配下の強者は次々と倒れた。残るは梅軒夫婦。しかし前後左右から飛来する分銅に、窮地に追い込まれた武蔵は、お槙が背負っていた子供を奪い、見通しの利く地点まで一気に駈けた。子供を人質に取られた梅軒夫婦は進退に窮し、三人は対峙したまま時は過ぎた。疲れと空腹が四人を襲い、太郎治は乳を求めて泣きだした。子供に乳を与えようとするお槙と、子供の命と引きかえに武蔵の命を取る覚悟を決めた梅軒の間に争いが起き、怒り狂った梅軒はお槙を傍らの切り株に縛りつけ武蔵に肉薄した。だが、小刀を利用した武蔵に手の甲を切られた梅軒は何を思ったか、我が家に向かって疾走した。長い対決は終った。武蔵は子供をお槙に返すと、一礼して踵を返した。しかし武蔵の行く手に火の手が上り、その中から梅軒が馬上にまたがり武蔵を追って来た。火炎はたちまち左右に拡がり、その包囲陣内に置かれた武蔵。しかし梅軒は、その火の中に太郎治がいることに気がつくと脱兎の如く疾走し、すんでの所で子供の命を救った。梅軒は去りかける武蔵に向って、一対一の勝負を挑んだ。だが、すでに勝負は決っていた。分銅は大きくひと振り、ふた振り、空中に舞ったが、気力は抜けていた。武蔵は、二刀を抜いて二天一流の構えを取った。