大阪道修町の薬問屋に生れた鵙屋春琴は両親の寵愛を一身に集めていたが九歳の時失明した。琴三絃の道を志したが、その道でも優れた才能を見せ十五歳になると同門で彼女に比肩する者がいなくなった。師匠の春松検校の家までの道を春琴は丁種の佐助に手をひかれて通った。佐助は彼女より四つ年上で十三の時から奉公に上っていた。検校の家で春琴を待つ間、春琴の習っている音曲を覚え、小遣銭を貯めて古い三味線を買い仲間が寝静まった後で独り稽古を始めた。その熱意が認められ、気難しい春琴の遊び相手を勤める意味もあって佐助は春琴から三味線を教わることになった。鵙屋の夫婦は、改めて佐助を春松検校の門に入れた。それから一年春琴は妊娠した。春琴は頑として相手の名をいわなかった。間もなくその子は他所へ貰い子に出された。夫婦は、春琴のあたりまえの結婚は難しいと知って、気心の知れた佐助を春琴の婿にしようと思った。だが、春琴は一言のもとにその話をはねつけた。雇人の佐助などとんでもないというのである。そんなうちに、春松検校が死去したため春琴は独立した。当時、春琴は琴も三味線も大阪第一流の名手になっていたが、その傲慢さと稽古の凄まじさのため弟子の数も少く、中には撥で眉間を破られる者もあった。そうした者の意趣晴らしか、或いは春琴と佐助の仲を妬んだ者の悪戯か、或る夜ひそかに忍びこんで、春琴の顔に熱湯を浴びせた者があった。呻き声に佐助が春琴の寝床にかけ寄ると、春琴は浅ましく変った顔をかくして見せようとしなかった。やがて傷も治り、繃帯を除らねばならぬ時がくると、春琴は顔をみられたくないと泣いた。春琴を愛する佐助は、縫針で自分の眼をつぶした。春琴はその感動に佐助の自分に対する愛情を知った。初めて同じ世界に住むことになった二人はその幸せに相擁して泣くのだった。