昭和二十年の夏、岡山県の山奥の温泉場“秋津荘”の娘新子は、河本周作を自殺から救った。周作は東京の学生だが、暗い時代に絶望し、体は結核に冒され、岡山の叔母を頼ってやって来たのだった。新子と周作の関係はこれから始まった。それから三年、周作は再び秋津にやって来た。荒んだ生活に蝕まれた体の療養だが、岡山の文学仲間と酒を飲み歩き、終いには新子に「一緒に死んでくれ」と頼んだ。そんな周作に惹かれる新子は、二人で心中を図った。しかし、新子の余りにも清い健康な心に周作は、生きることの美しさを取り戻し帰っていった。昭和二十六年周作はまた秋津にやって来た。女中のお民から知らせをうけて新子の心は弾んだ。周作は文学仲間松宮の妹晴枝と結婚したことを告げて帰っていった。それでも新子は、周作を忘れられなかった。二人が出逢ってから十年目、四度び周作がやって来たのは、別れを告げるためだった。松宮の紹介で東京の出版社に勤めることになったのだ。その夜二人は初めて肉体の関係を持った。昭和三十七年、周作は四十一歳。都会生活の悪い面だけを吸収した神経の持主と変ってしまった周作が、松宮の取材旅行の随行員として五たび秋津にやって来た。周作は料理屋の女将お民をみてびっくりした。お民から新子は“秋津荘”を銀行に売り、母親にも死なれて孤独でいることを聞いた。新子は翌晩、周作の旅館に訪ねて来た。二人は静かに酒を飲んだ。その晩、初めて新子は自分から「一緒に死んで」と頼んだ。俗悪な中年男となっている周作は、一笑にふし、肉体の交わりだけに溺れた。翌朝、新子は周作を送ってから、剃刀で手首を切った。知らせを受けて周作が引返した時は、新子は安らかな死顔をみせて、三十四年の生涯に鮮やかな終止符をうっていた。