安達太良山のふもとにある小学校。四年三組の坂井安子先生は出産を間近に控え、代わりに産休先生として本間秀代がやってきた。秀代は戦前の教育を受け、戦時中まで教壇に立っていたが、今は二男一女の平凡な母親であった。しかし西川校長から事情を聞き、昔安子と同じような苦しい立場で教壇に立ったことのある秀代は、夫久平の反対を押しきって、この大任を引受けたのだった。しかし、戦前の教育しかしらない秀代にとって、戦後の民主教育にはとまどうばかりであった。子供たちもそんな秀代を馬鹿にして、勝手な行動をして秀代を悩ませた。しかし、秀代の努力は続き、やがて、母親らしい温い気づかいは次第に子供たちの心にしみこんでいった、ところが。この秀代のクラスには清という乱暴者がいた。清は、同級生の孝枝の給食のお金を盗んだと訴えられ、クラスののけものにされていた。しかし、父親が飲んだくれ、母親が働きにでている清の家庭の事情を知る秀代はなにかにつけて清をかばい、なんとか清に温い心をとりもどさせようとした。だが、この秀代のやり方は、学問本位に考える先生やPTAから非難された。そうしたある日清が近郊市の警察署に補導されるという事件が起った。それは清の母が若い男と家出した後の出来ごとだった。その後、秀代は清を家まで送りとどけたが、かえって父親に乱暴され、額にケガをしてしまった。この事件は、すぐ学校やPTAの間に広まり、ますます秀代の立場は苦しいものになった。が、こんな秀代を力づけたのは、塚田先生と、はじめは秀代が産休先生になることを反対していた夫の久平であった。やがて秀代の努力で清の心にも、次第に優しさが芽ばえてきた。そして、安子先生も無事出産し、約束の三カ月が過ぎた。生徒たちとの別れの日母親と共に仙台の旅館にいっていた清が一人で教室にかけこんできた。そこで清は、かくしていた孝枝の給食袋を秀代に差しだした。--それは秀代にとって何よりもうれしいおくりものであった。秀代が学校に産休先生として赴任してからいろいろなことがあった。だが、それもみんな秀代の誠心誠意か子供等に伝わって、仲良く勉強することが出来たのだった。清という乱暴者も、子供らしい純な心にもどっていった。秀代は、この、子供たちとの“こころの山脈”がいつまでも心に残ることを祈って、学校を去っていくのだった。