待合“立花”の四畳半には、娼婦しのと旗本くずれの客糺が一つ枕に甘い夢を貪っていた。糺はしのの親切にこたえて、友禅模様の美しい紙入れをあたえた。が、これはもともとしののものであった。--しのには情夫の竜吉がいた。竜吉は、しのが“豊国”の女中をしていた昔の知り合いで、しのを“立花”に売ると、自分は車夫になって、せっせとしのの客をはこんでいた。そして、この友禅模様の紙入れは、竜吉がしのから巻きあげ、糺が竜吉からスリ取ったものだったのだ。しかし、しのはその事実を黙っていた。その夜の糺の親切が、うれしく心にしみたからだ。こうして、しのは竜吉にかくれ糺と逢う瀬を重ねるようになった。しのは、ひたむきに糺に尽した。そうすることによってしの自身も救われるかのように……。糺も、そんなしのの情愛にうたれて、スリを止め印刷工として、まじめに働きだした。そして、なけなしの財布をはたいて糺は簪をしのにおくった。しのは、糺に心が通えば通うほど竜吉に強く当った。竜吉も、盲従することしか知らなかったしのの心の変化を読み、糺の存在を知ると、しのを脅し、すかし、二人の仲を裂こうとやっきとなった。が、意外にも別れ話は糺の口から出た。家柄を買われて、良家に養子に行くというのだ。しのは糺を愛しぬいていた。だから一時のさびしさはあっても、しのは素直に糺の幸運を喜んだ。自分はまた隠れて逢う瀬を楽しめばいいのだと……。だが、こんなしのの心を知った竜吉は、女将のお種にたのんで、しのを朝鮮に鞍替えさせようとした。そして、竜吉はしのを呼び、朝鮮に行かねば糺をスリとして直訴すると脅した。しのは断る言葉もなかった。その瞬間、糺が竜吉を刺した。竜吉に秘密を知られ、密告を恐れた糺の兇刃であった。が、恋に盲目のしのには、自分への愛情がこうじて竜吉を刺してくれたとしか映らなかった。--「娼婦にだって真心があるんです」いつかしのが糺に言った言葉通り、しのは糺を待って、今日も“立花”の四畳半に紅色の影をおとしていた。