四季の変り目ごとに蓼科高原にある山小屋にやってくる一人の男がいた。四〇歳くらいで、人びとからは先生と呼ばれていた。一人住いの先生のところへ、下の集落から食事の世話をするため、戦争未亡人で大学生の息子をもつおばさんが出入りしていた。雪どけが始まった春のある日、先生はおばさんに告白した。先生は広島の連隊にいた時、被爆し、性的機能を喪失した。しかし三カ月目に恢復した時の感動は、彼に人間の素晴しさを教えた。復員後結婚したが、ビキニの第五福竜丸事件の衝撃で再び不能となり、離婚したのであった。先生は高原に発散される若い男女の青春のいぶきを羨望の眼で見ていた。先生の心は凍った湖の氷面のように全く閉ざされていた。やがて高原は緑が萌える夏となった。何とか性を恢復しようと思う先生にとって、若い男女の営みはますます、先生を圧倒するのだった。ある日先生はおばさんから、村に夜ばいのあることを聞かされた。その夜先生は先生の不能を何とかなおしてやろうと思うおばさんに誘われて、夜ばい見物をした。それ以来、先生はおばさんの家へ夜ばいに通い始めおばさんを抱くのだった。珍らしく先生の顔は血色がよく生き生きしてきた。先生は夜ごと「八兵衛またきたのか」といっては先生を抱くおばさんに、激しい嫉妬の焔を燃やした。それは先生に恢復してもらいたい一心のおばさんの芝居だった。蓼科山が紅葉に染まる頃、また東京からやってきた先生は、権八から一週間前おばさんが死んだことを知らされ愕然とした。焦燥と悔恨で取乱した先生は丁度会った夜ばいの三人組の青年に詰め寄り、おばさんの潔白を聞いた。おばさんの死因は子宮外妊娠であった。先生を訪ねてきたおばさんの息子がさし出した遺書には「先生、フノウがなおってよかった。わたしもたのしかった」とあった。先生の号泣する声が空しく秋の空に反響した。