拘置所の片隅の死刑場で、絞縄を首にかけられ、踏板を落とされ、死刑囚Rは、何ら異状なく刑を執行されたのにもかかわらず死ななかった。一本のロープにぶら下がったRは気を失ってはいたが、脈拍は正常に打ちつづけていたのだ。立会人である検察官、所長をはじめとする拘置所職員は、この異常な事態に仰天し、再度、刑を執行しようとしたが、心神喪失状態にある者に刑を執行するのは法律で許されていなかった。間もなく、死亡確認が仕事の医務官の手当てで、Rは目を開いた。教誨師は、Rの魂は神に召されたのだから、処刑は不当であり、生き返ったRは犯罪を犯したRと同一人ではない、と激しく主張した。そこで、所長たちはRに、彼が犯罪を犯したRであることを認めさせるため、Rの犯行を再現しようと試みることになった。要はRが自らの犯行を認めさえすれば、処刑は妥当性を持つのだった。教育部と保安課長によってRの第一の犯行“賄婦強姦殺人事件”が再現された。だが、Rは何の反応も示さなかった。その次にRが女生徒を殺した“小松川高校事件”が、判決文通りに所長たちによって再現された。Rはただ、ひとりの貧しい家庭に育った朝鮮人が、そのことのために女生徒を殺し、死刑を宣告されたことを理解したが、自分がその犯人であることは認めなかった。やがて所長たちは、犯行現場に行くより仕方がないと考えて、判決文にあるRの行動を、逐一、再現していった。所長たちはただRを処刑するという職務のために、異常な熱意を燃やした。犯行を再現していくうちに教育部長は、しまいには自ら殺人を犯したと錯覚して恐怖に駆られるほどだった。その間、Rは自分の内面に沈潜していた。貧しい家庭、飲んだくれの父親、不良の兄、口の不自由な母、三人の弟妹、それらに抑圧された生活の中で、Rは空想に生き、空想で女を犯して殺したのだ。そして、それを現実に実行してしまったのだった。しかしRは、死刑に値いする、ただ残虐なだけの犯行とは思わなかった。それは、Rが空想で愛した女が現われ、Rの犯罪が長い間しいたげられてきた朝鮮人の怒りの証明だ、と言ったことでもあった。Rは空想から現われてきた女が好きだった。そしてその女が、自らがしたように強姦されて殺される場合を想像したとき、はじめてRは自分がやったことを生々しい現実の中で感得できたのだった。RがRであることを認めたので、関係者はほっとして酒を汲み交しはじめた。乱れた席の中で、Rは空想の女の愛撫を受けながら、世間のすべてのRの重荷を引き受けて、処刑されることに同意した。