詩人であり彫刻家でもある高村光太郎が智恵子を知ったのは、それまでの彼の荒んだ生活を心配した友人八木夫妻の計いによるものであった。智恵子は油絵を描き、セザンヌに傾倒し、当時の進歩的女性誌「青踏」の表紙を描いたりしていた。光太郎は彼女の清純な、童女の如き純愛に強く心をうたれ過去の荒んだ生活を清算し、彼女と新しい生活を営もうと決心した。智恵子こそ、始めて光太郎に生きる喜び、愛の幸せを与えた女性であった。この新しい生活から、彼の智恵子との愛の喜びを謳いあげた詩は、限りなく生れ出た。一方、智恵子は芸術家光太郎を尊敬し、夫光太郎を愛し抜いて、彼によって自分の絵の完成を試みた。彼女は、ときには食事も掃除も忘れ制作に熱中した。だが、間もなく彼女は自分の才能を生かすべきか、よき家庭の主婦として一生を送るべきか悩みはじめた。そして、彼女は自分の才能に限りがあることを知り、芸術への愛着をたち切った。だが、傷つきやすい彼女の心は、絵画に対する自信の喪失によって、深い傷手を負わねばならなかった。その上、実家の父の死、没落、実弟光男の放蕩と相次ぐショックにガラスのようにもろい彼女の精神は狂った。容態の悪くなった彼女は、妹たまの嫁ぎ先九十九里浜に転地した。一週に一度訪れる光太郎を待ちわびて、彼と共にいる時だけが正気の智恵子であった。はかばかしくない病状に光太郎は彼女を東京の病院に移した。うす暗い病室で彼女は千代紙で紙絵を切り抜いた。彼女はそれを光太郎一人だけにみせた。彼はそこに彼女がかつて絵具では表現出来なかった立派な芸術への閃きを発見した。次々と切り抜かれる紙絵……だが彼女の身体はますます衰弱する一方である。光太郎は智恵子の死を恐れた。しかし、やがてそれは現実となった。彼女は駈けつけた光太郎の含ませたレモンの露を最後に静かに眼をとじた。だが智恵子は永遠に生きている--。光太郎の心の中で。その面影を抱き、ふたたび勇をふるって彼は十和田湖畔に裸像を建てる制作に立上った。智恵子の不滅の愛を讃えながら。