長い悪夢のような戦争が終わって焦土と化した東京の街にも柔らかい平和の陽射しがさんさんと降りそそいでいた。復員した野上は旅装も解かずに「日曜日の午後四時、きっとお待ちしてますわ」愛する人の四年前の別れの言葉を胸に抱き締めて約束の場所に駈けつけた。話は遡って、戦争前、野上、田中、蒲原の三人は揃って大学を卒業した。野上は世の中をもっと美しくしようという純真な気持ちを持ってセツツルメントの若い医者として貧しい人達に温かい治療を与えていた。田中は社会運動に入って行った。その頃蒲原の演出したハムレットの芝居が帝国ホテルで公演された。公演を見に行った野上は楽屋でオフェリヤに扮した暁子の美しさに打たれて日毎に彼女を恋い慕うようになった。暁子もまた野上をいとしく思うようになったが、暁子には左近正彦という許婚者がいた。白薔薇のように美しい暁子を蒲原も、田中も愛していたが、野上の恋は灼けつくように激しく燃えたっていった。野上を愛する暁子は彼の仕事を理解しようとして勉強した。次第に戦争に進んで行く日本、その危機が高まるにつれて左翼弾圧が強化され、野上に接近した暁子はある日野上を訪ねての帰途検挙された。新聞は「赤の令嬢検挙さる」と報道した。間もなく釈放された彼女は行方不明になった。その頃田中も検挙された。失踪中の暁子から野上の許へ突然手紙が届いた。「ぜひお目にかからせて下さい」切々胸を打つ暁子の手紙を見て矢も楯もたまらず失踪先の房州へ向かった野上は、彼もまた停車場で検挙されてしまった。暁子は海岸に佇んで何時までも野上を待っていたが、彼は遂に来なかった。そして連れ戻された暁子は左近と結婚した。暁子は良人に対して冷たい妻であった。青春の幾星霜を獄舎に送った野上が釈放された時日本は戦争の渦中にあった。蒲原を訪れた野上は初めて暁子の結婚を知った。彼は狂ったように暁子に逢いに行った。しかし今は人妻となった暁子である。彼は「お幸せに暮らして下さい」という一言を愛する人に残して傷心の身を田舎のダムの診療所にかくした。暁子と左近の間の溝は次第に深まって行った。左近は野上のいるダムを訪れ、誤ってダムの水流へ巻き込まれてしまった。歳月は流れて--太平洋戦争が勃発した。南方へ派遣される蒲原の送別会の夜、フト入った酒場のマダムは左近家を出て生活する暁子の闘う姿であった。相思の二人は、今はただ誰はばかることもなく愛し合うお互いの手を握り合ったが、その喜びも短く、同じ夜野上に召集令状が下った。生きて再びめぐり逢う日があろうか、愛する人との最後の逢瀬をニコライ堂の境内で過ごした暁子は「たとえどんな日が来ても、日曜日の午後四時いつもここへ来てお待ちしてますわ」とやさしい誓いの言葉を野上に告げて別れた。愛し合う二人を相距てて幾年月、戦争は遂に敗戦に終わった。復員した野上は唯一途に暁子を求めて約束の日曜日の午後四時ニコライ堂を訪れた。そして生きて再びめぐり合った相愛の二人である。