雄造と昌子はある日曜日楽しいランデヴーを計画したが、現実はあまりにもはかなく惨めだった。たった三十五円の日曜日。スピードくじも無駄だった。十万円の住宅見本も、彼らにとっては雪の彼方のものだろう。アパートの借間も、行ってみれば手が出ない。子供の野球に飛び入りすれば、雄造の打ったボールは露店に飛び込み損害賠償を払わせられる。あと二十円。ふと兵隊の時の戦友がいまキャバレーの社長をしているのを思い出した雄造は、その友人をダンスホールに訪れたが、街の紳士なみに扱われくさって出てくる。二人の気持は沈むばかりだった。昌子は残った二十円でコンサートを聞きに行こうと勧めたが、二人が公会堂に駆けつけた時切符は売り切れてしまった。雄造はたまりかねて闇切符売りに食ってかかったが、その仲間に手もなくのされてしまった。乱れた髪、汚れた服、冷い雨、黙々と歩く雄造の姿を昌子は悲しく追ってとうとう雄造の下宿まで来た。下宿の一室で気重い沈黙が続いた。昌子はこんな風にして別れたくないと思った。雄造は惨めな自分がつくづくいやになった。誰もかれも自分に背中を向けている。残っているのは昌子だけではないか。彼は急に熱情的に昌子を求めた。本能的な怖れで室を出た昌子は、意を決して再び戻ってくる。雄造は昌子の悲痛な顔を見て強く心打たれた。二人は雨上りの街へ出た。黙って向い合っていても幸福だった。二人が舗道に面した焼跡で何年か先の理想の小さな喫茶店の計画を夢中で話し合っているとき、ふと見るとずらりと人だかりがして人々がこちらを見ていた。二人は月の出た公園へ来た。そして森閑と静まり返った音楽堂で二人だけのコンサートが始まる。指揮者の雄造は胸をはって舞台に立った。寂しく反響する昌子のたった一人の拍手の音。タクトが振り降されたが、聞こえてくるのは広大な音楽堂を吹き渡る風の音ばかりだった。昌子はたまらない気持で雄造を励ました。目に見えない多くの人々に向ってひたすら何かを願うかのように「どうか拍手して下さい、お願いします」と叫んだ。その瞬間、荒さんのごとき拍手の音が響き渡ってくる。雄造は上衣を脱ぎ捨て指揮台に上った。両手を挙げて構えたタクトが振り降されると、やがて壮麗な「未完成交響曲」第一楽章が人気のない音楽堂を一杯に流れ出す。大きな感動に震える昌子の目にあとからあとから涙がとめどなく溢れてくる。