下総国佐倉の領主堀田上野介正信は名に謳われた暴君で、今しも愛妾お柳の方ともども江戸に向かっての旅行列であった。この暴君のもと領民はとたんの苦しみ、度重なる重税にあえいで、他国を指して逃げるものの数が日増に多くなっていった。その逃げた領民の課税を一手に引受け、領民の力となっている男、名手の宗五郎であった。村の若者万兵衛も宗五郎を親とも慕う一人であったが、今日もふとした機縁から役人と争い、五人力の力で皆川にぶちこんでしまった。万兵衛の妹おくみは宗五郎の家で働いていたが、永の別れにきた万兵衛の話を耳にはさみ、金子をつつむなり「元気でな」と見て見ぬふりをして江戸に旅立たせてしまった。その後が大変である。母のおかねが呼ばれる、宗五郎が引立てられる。果てはごう問、お仕置と、万兵衛の人質にとせめ折かんであった。村人は一きを起こし、宗五郎を救おうと誓った。一きを知って宗五郎は「今一きをしては血を見るだけだ」とあわてた。おくみは兄を尋ねて行徳の町にいった。万兵衛は辰松房吉という浄るりの一座にやっ介になっていたがすべてを知って自首して出た。宗五郎は出獄した日から江戸に出て、領主に、そして老中に、果ては将軍に直訴した。「家老は切腹、勘定頭、郡奉行は死罪、増年貢は一切これをやめ、定年貢は一割減免、但し宗五郎も極刑!」立騒ぐ群衆をなだめながら三百八十九ヵ村を自分の身一津に背負ってたてるならいさぎよく死にましょうとまゆ一つ動かさずに宗五郎はいい切った。とうまるかごの行列が街道をゆく日、殺気に満ちた万兵衛の姿が見えかくれにその後をついていった。それをおう鳥追姿の女も。休みの間に近づいた二人に「旅の衆、見りゃあ似合いの夫婦じゃあないか、しあわせになあ」せめてもの宗五郎のはなむけの言葉だった。