時の御門の寵愛を一身にあつめた桐壷更衣は、弘徽殿の女御をはじめ、御門を取巻く女性たちの嫉視のなかに、御子を身ごもり、里に帰って玉のような男児を生み「光君」と呼んだ。が、桐壷はそのまま病床にふし、光君五歳のときにみまかった。光君は美しく成年し、源氏の姓を賜わり、御門の寵愛めでたく立身出世も早かった。そのまれに見る美貌は、街でも御所内でも、女たちの讃美の的となった。そして成年の日左大臣の娘葵の上を妻に迎えたが、葵は生来冷たい女であった。源氏の胸にひめられた女性は、五歳で死に別れた母桐壷のおもかげによく似た藤壷の君であった。しかし、藤壷は御門が愛される女性であって、源氏も思うままに近づくことは出来なかった。その上何かにつけて例の意地の悪い弘徽殿の女御が眼を光らせて邪魔だてすると知ると、彼女の姪で、源氏にはぞっこんの朧月夜の君を、ちょっとからかって見る気にもなるのだった。唯一度の逢う瀬のあと、藤壷は罪を重ねることの恐ろしさに源氏を避けて逢おうとはしない。そのうち源氏は瘧病にかかり山篭りをするが、全快しての帰路、ふと山に隠棲する尼君と共に住む美しい幼女紫の上を見て、わが家へ連れ帰る。葵の上は源氏の子供夕霧の君を生むが、死んでしまう。藤壷の懐妊にからんで弘徽殿の悪質の策謀がはげしくなり、頭中将のすすめで源氏は暫く須磨へ隠栖することになったが、明石に住む播磨入道の家に招かれ厄介になる。入道の娘淡路には、良成という恋人があるが、父は淡路を源氏の君に思っている。折しも京から便りがあり、藤壷が無事男の御子を生んだあと、直ちに尼になったときく。その悲しみに庭へ出ている源氏を刺客がひそかに襲うが、目的を果さず、かえって源氏と淡路とを結びつけてしまう。御門がおかくれになり、弘徽殿も亡くなったとの知らせに、源氏は久々に京都へもどった。淡路も良成も同道した。二條院の源氏の館には美しく成育した紫の上が待っていた。藤壷も病い篤く、源氏が駆けつける間もなく息をひきとった。淡路は懐妊していたが、その子は源氏の子ではないと自白した。源氏はかつとなって良成を斬ろうとしたが紫の上のやさしい取なしで、淡路と共に故郷へ帰してやるのであった。