長崎県諫早市の生まれ。本名・橋本広司。県立大村工業高校を卒業後、東京都千代田区役所の土木工事課に勤務したが、働いて4年目に仲代達矢主演の舞台『どん底』を見て感動し、俳優の道を志す。1978年、仲代が主宰する俳優養成所“無名塾”の試験に、200倍の高倍率をくぐり抜けて合格。芸名は、前職が役所勤めだったことと「役どころが広くなる」ことを祈念して、仲代が命名した。78年、『オイディプス王』のコロス役で初舞台を踏み、80年にはNHK連続テレビ小説『なっちゃんの写真館』でテレビデビューも果たす。続いて、83年のNHK大河ドラマ『徳川家康』の織田信長役で注目を集め、エランドール賞とテレビ大賞の新人賞を受賞。84年には同局『宮本武蔵』で1年間主役をつとめ、その人気を定着させた。映画にはその間、仲代主演、五社英雄監督の「闇の狩人」79で初出演。以後も、熊井啓監督「日本の熱い日々/謀殺・下山事件」81、五社監督「鬼龍院花子の生涯」82、村野鐵太郎監督「遠野物語」83など仲代の主演映画に端役で出演し、85年の伊丹十三監督「タンポポ」からは、本格的に映画俳優としても頭角を表す。88年には山下耕作監督「アナザーウェイ・D機関情報」で映画初主演。続いて、後藤俊夫監督「オーロラの下で」90で主役のマタギの源蔵を演じ、日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞した。一方、テレビドラマでは、テレビ朝日『三匹が斬る』87~95に豪快な浪人役でレギュラー出演し、日本テレビ『愛の世界』90、『雀色時』92、TBS『サハリンの薔薇』91など芸術作品賞に輝く名作に相次いで主演したが、映画の興行もテレビの視聴率もなかなか延びず、作品評価は高くてもヒットに恵まれなかった。94年、細野辰興監督「大阪極道戦争・しのいだれ」で弱小組織のやくざの組長を好演し、翌95年には原田眞人監督「KAMIKAZE TAXI」にペルーから来たタクシー運転手役で主演。高橋和也扮するチンピラやくざの逃避行を助ける寡黙な男を魅力的に演じ、毎日映画コンクール男優主演賞を受賞。ここから映画スター・役所広司の快進撃が始まる。96年は、平凡なサラリーマンが社交ダンスの世界に魅せられていく周防正行監督「Shall we ダンス?」、小栗康平監督「眠る男」、細野監督と再び組んだ「シャブ極道」などに主演し、キネマ旬報賞、毎日映画コンクール、ブルーリボン賞、日本アカデミー賞、報知映画賞、日刊スポーツ映画大賞、ヨコハマ映画祭と主演男優賞を総なめにし、日本アカデミー賞ではこの年以降、7年連続で優秀主演男優賞を得て日本映画界のトップスターの座を不動のものにする。その後も現在までに多くの映画賞に輝く役所の、これ以降の主な主演映画を挙げると、猟奇殺人事件を追う精神的に不安定な刑事を演じた黒沢清監督「CURE」97、妻を殺した元受刑者の心の闇を表現した今村昌平監督「うなぎ」97、社会現象にもなった森田芳光監督のヒット作「失楽園」97、型破りな奉行に扮した市川崑監督の娯楽時代劇「どら平太」00、バスジャック事件で生き残った人々の旅を描く青山真治監督「EUREKA」01などがあり、「CURE」では東京国際画祭の主演男優賞を受賞。97年には「うなぎ」「失楽園」で、前年に続いてキネマ旬報賞主演男優賞を連続受賞している。2005年にはロブ・マーシャル監督「SAYURI」でハリウッド映画にも進出し、06年のカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞したアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督「バベル」や、日=伊=カナダ合作の「シルク」08に出演。09年には自らの主演作「ガマの油」で監督業にも進出した。テレビドラマはほかに、NHK『獅子の時代』80、『おんな太閤記』81、『いのち』86、『チョッちゃん』87、『男たちの運動会』89、『冬の魔術師』93、『花の乱』94、テレビ東京『燃えよ剣』90、『刑事追う!』96、テレビ朝日『女王蜂』90、『砦なき者』04、フジテレビ『恐怖の二十四時間・連続殺人鬼西口彰の最期』91、『八丁堀捕物ばなし』93、『合い言葉は勇気』00、『盤嶽の一生』02、『駅路』09、TBS『武田信玄』91、『悲しくてやりきれない』92、『オトナの男』97、『刑事クマさん』『幽婚』98、日本テレビ『刑事たちの夏』99など。舞台の出演作品に、『毒の華』81、『ベント』86、『AZUCHI』87、『終着駅』90、『巌流島』96、『ふたたびの恋』03などがある。82年、無名塾の先輩だった女優の河津左衛子と結婚。長男・橋本一郎も俳優としてデビューした。